……はい……はい、どうもお手数をかけました。」チリンチリン
電話をかけ終った巡査は、また留吉の方へ出て、さて言うには、
「今田氏はお前のような友達は持ったことはないと仰言《おっしゃ》るよ」
「今田|時雄《ときお》は、その、算術の試験の時……」
「もう好《よ》い。兎《と》に角《かく》この帽子はお前に返してやるが、今後は、他人の邸宅へ無断で侵入しては相ならぬぞ、よしか」
留吉は、とある公園のベンチに腰かけて、つくづくと帽子を眺めました。
この帽子が悪いのだ。とにかくこの帽子は、おれを今よりもっと不幸にするかも知れない。田の草をとる時にも、峠を越す時にも、この帽子はおれの連《つれ》だったが、今は別れる時だ。留吉は、帽子を捨《すて》てしまおうと決心しました。そこで、腰かけていたベンチの下へ、その帽子をそっとかくして、そこを立ちさりました。公園の門を二三間歩くと、
「おいおい」と言って巡査が追いかけてきました。
「これは、君のだろう」と言って、帽子を留吉に渡しました。
「いや、その、これはその……」留吉が、何か言おうとするうちに、もう巡査は、ほかの帽子か何かを探しにいってしまいました。
留吉は、不幸な帽子を手に持って歩いているうちに、たいへん腹がへってきました。
「民衆食堂一食金十銭」と書いてある西洋館がありました。留吉は、そこへ這入《はい》っていって、隅っこのあいた椅子《いす》に腰かけて、帽子を卓子《テーブル》の上へおきました。
十銭の食事が終ると、留吉は帽子を椅子の下へかくして、何食わぬ顔をして、出てきました。「君の帽子だろう」あとから食堂を出てきた車屋さんが、すっぽりと留吉《とめきち》の頭へ、帽子は[#「は」に「ママ」の注記]はめてしまいました。
留吉は、長い間こがれていた都を見物することも、何か仕事を見つけることも、また昔のお友達を思出《おもいだ》すことも忘れてしまったように見えました。ただもう、どうして、この不幸な帽子と別れたものかと、その事ばかり考えて、知らない街を通《とおり》から通へと歩きつづけるのでした。
日が暮れて街の人通《ひとどおり》が少《すくな》くなった時分に、留吉は街はずれの汚い一軒の安宿を探しあてました。
「今度はうまくいったぞ」留吉は、宿の二階の窓から、裏の空き地へ帽子を投出しました。それで安心して、その夜はぐっすり眠ってしまいました
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