のさ」
熊さんはもう嬉《うれ》しくてたまりませんでした。熊さんは、永田町の方へ水を運んでいっても、早く日輪草を見たいものだから、水撒車《みずまきぐるま》の綱をぐんぐん引いて、早く水をあけて、三宅坂へ少しでも早く帰るようにしました。だから熊さんの水撒車の通ったあとは、いくら暑い日でも涼しくて、どんな風の強い日でも、塵《ほこり》一ツ立ちませんでした。
太陽が清水谷《しみずだに》公園の森の向うへ沈んでしまうと、熊さんの日輪草も、つぼみました。
「さあ晩めしの水をやるぞい。おやお前さんはもう眠いんだね」
熊さんはそう言って、首をたれて寝ている花をしばらく眺めました。時によると、日が暮れてずっと暗くなるまで、じっと日輪草をながめていることがありました。
熊さんのお内儀《かみ》さんは、馬鹿《ばか》正直なかわりに疑い深いたちでした。このごろ熊さんの帰りが晩《おそ》いのに腹をたてていました。
「お前さんは今まで何処《どこ》をうろついていたんだよ。いま何時だと思っているんだい」
「見ねえな、ほら八時よ」
「なんだって、まああきれて物が言えないよ、この人は、いったいこんなに晩《おそ》くまでどこにいたんだよ」
「三宅坂よ」
「三宅坂だって! 嘘《うそ》を言ったら承知しないよ。さ、どこにいたんだよ、誰《だれ》といたんだよ」
「ひめゆりよ」
「ひめゆり! ?」
熊《くま》さんは、日輪草《ひまわりそう》のことを、ひめゆりと覚えていたので、その通りお内儀《かみ》さんに言いました。それがそもそも事の起りで、熊さんよりも、力の強いお内儀さんは、熊さんを腰の立たないまで擲《なぐ》りつけました。
「草だよ、草だよ」
熊さんがいくら言訳をしても、お内儀さんは、許すことが出来ませんでした。
翌日《あくるひ》は好《い》い天気で、太陽は忘れないで、三宅坂の日輪草にも、光と熱とをおくりました。日輪草は眼《め》をさましましたが、どうしたことか、今日は熊さんがやって来ません。十時になっても、十二時が過ぎても、朝の御馳走《ごちそう》にありつけませんでした。日輪草は、太陽の方へ顔をあげている元気がなくなって、だんだん首をたれて、とうとうその晩のうちに枯れてしまいました。
底本:「童話集 春」小学館文庫、小学館
2004(平成16)年8月1日初版第1刷発行
底本の親本:「童話 春」研究社
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