「山本先生だ」
 それは体操の先生でした。いつもなら怖い山本先生が、今日はなんだか、急になつかしくなって、涙がぼろぼろと出てきました。

 こんなことでAもBも、許されない冒険が、そんなに思ったほどたのしいものでないということを学びました。しかしこの経験は、すぐわすれてしまいましたが……。
 それよりも、それから後にAが、あの時のことを思出《おもいだ》して、ちょっと顔を赤くするほど恥《はず》かしかったことがありました。それはAがそのことを誰《だれ》にも言わなかったから、つまり秘密のままでおいたからなのです。
 それはこうです。その年が暮れて、あくる年のお正月のことでした。Aの家ではある晩のこと、親類や知人の家の子供達を集めて、一晩カルタやトランプなどをして遊んだことがありました。そのあとで“who, when, where, what”という遊びをしたのです。「誰がいつどこで何をした」と読みあげるのです。詳しく言えば、まず紙片《かみきれ》を四枚ずつみんなに渡します。第一の紙片には、自分の名前を書きます。第二の紙片には、昨日とか、子供の時にとか、時を書きます。それから第三の紙片へは場所です。これも想像してなるべく奇想天外な場所を選んで書きいれるのです。そして最後の紙へ何をしたと書いて、それを誰にも見られないように、予《あらかじ》め定《き》めておいた第一の紙片を持つ人に名前の紙を、第二の紙を第二の人に、順々に渡して、みんな揃《そろ》った所で、第一から第二、第三と、連絡をとって読みあげるのです。すると自分の書いた「時」がある人の「所」とくっついたり、人の書いた「したこと」が自分のところへ結びついたりして、思いがけない名文や珍文が出来あがるのです。
 ところがその晩どうしたものか不思議にも、中学生Aのところへこんな文章が出てきたのです。
「かっちゃんは、去年の暮、ニコライの塔のてっぺんで、べそをかきました」
というのです。Aのことをみんなかっちゃんと呼んで居ましたから。
「かっちゃんたいへんね」とAの姉さんが言いました。みんなAの方を向いて笑いました。すると十一になる従妹《いとこ》が
「かっちゃん本当?」
と訊《き》きました。訊く[#「訊く」は底本では「訴く」]方はむろん冗談だったのですが、当人のかっちゃんは、旧悪が露見したような気がしてはっとしたのです。
「うそだい」
かっちゃんは元気らしくそう言いました。それでもすこし心配なので、そっとお母様の顔を見ました。するとお母様はすこしも感情を動かさない顔でしずかに笑っておいでだった。かっちゃんは、それでほっと助かりました。



底本:「童話集 春」小学館文庫、小学館
   2004(平成16)年8月1日初版第1刷発行
底本の親本:「童話 春」研究社
   1926(大正15)年12月
入力:noir
校正:noriko saito
2006年7月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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