誰が・何時・何処で・何をした
竹久夢二

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)どこへ往《い》くんだろうね

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)乗合|自働車《じどうしゃ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
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 二人の小さな中学生が、お茶の水橋の欄干にもたれて、じっと水を見ていました。
「君、この水はどこへ往《い》くんだろうね」
「海さ」
「そりゃ知ってるよ。だけど何川の支流とか、上流とか言うじゃないか」
「これは、神田川にして、隅田川に合《がっ》して海に入るさ。」
「そう言えば、今頃《いまごろ》は地理の時間だぜ、カイゼルが得意になって海洋奇談をやってる時分だね」
 Aの方の学生がずるそうに、そう言い出したので、Bの方も無関心でいるわけにゆかないものですから、わざと気がなさそうに、
「ああ」と言いました。この二人の小さな中学生は、今日学校を脱出《エスケープ》したのです。というのは、この学校では八時の開講時間が一分遅れても、門をがたんと閉めて生徒を入れないほど万事やかましい学校でした。Aは昨夜《ゆうべ》ギンザ・シネマへいったので今日寝坊してしまったのです。大急ぎで学校へくる道で、学校の方から帰ってくるBに逢《あ》いました。
「閉め出しだ」Bが言いました。
「君もおくれたの?」Aは、おなじ境遇におかれる友達が一人出来たのに力を得ながら言いました。
「家《うち》へ帰る?」
「家へなんか帰ったら余計にわるいよ。散歩しようじゃあないか、どこか」
「ああ」気の弱いAも、そうするより外ないと思って、Bのようにすることに決めました。
「ニコライへいって見ないか?」
「ああ」
 そこで二人の小さな中学生は、大学の学生が大威張りで銀座を散歩するようなつもりで、もしその勇気があったら巻煙草《まきたばこ》をくわえて肩をあげて、ついついという足どりで、歩いて見たいのでした。
「なあんだ、ニコライ堂は帽子を脱いでしまったじゃないか」
 塔を見あげながら生意気らしくズボンのポケットに手を入れて、Bが言いました。
「ほんとだ、地震に降参しちゃったんだね」
 Aはまだどうも学校へ講義をききに這入《はい》れなかったことが気になって、すっかり、散歩する気持になれないでいるのでした。
 学校では、地理の教師のカイゼル(その髯《ひげ》からのニックネーム)が、教壇の上で出席簿をつける。
「ミスタ、ヤマダ」
「ヒヤ」
「ミスタ、コバヤシ」
「ヒヤ」
「ミスタ、ヤマカワ」
「ヒイイズ、アブセン」
 Aは、ニコライの柵《さく》のところから、東京の街を見おろしながら、ミスタ、ヤマカワと呼ばれたような気がして、ひやっとしたのです。
「山川《やまかわ》、銀座の方へ散歩しようじゃないか」
 Bがそう言ったのです。
「うん」
「しっかりしろよ、もう学校はあきらめたんじゃないか」
「そんなこと考えてやしないよ。ただ……」
「ただ心配なんだろう。だって仕方がないよ。遅れたものは遅れたんだから」
「そうさ、銀座へゆこうよ」
 二人の小さな中学生は歩き出しました。そこはこの季節によくある、もう春がきたのかしらと思われるような、ぽかぽかと何か柔かい暖かいものが、空気の中に浮いているような素晴らしい上天気でした。
 須田町へくると、いろんな人間が忙《せわ》しそうに歩いています。その間をすりぬけて、トラックだの乗合|自働車《じどうしゃ》が、ぶうぶうと走っているので、AもBも、すっかり元気づいて、前をちょこちょこ歩いてゆく女のねじパンのような束髪の上を、恰度《ちょうど》木馬を飛越《とびこ》える要領で、飛び越えてやりたいような衝動を感じるほど、二人は元気でした。わけもなくお祭のような気がして、気の弱いAも、なんだか嬉《うれ》しくなってきたのです。
 それに年末の売出しで、景気づけの紅提燈《べにぢょうちん》がずらりと歩道の上にかかって、洋品店のバルコニーでは楽隊がマーチをやっていました。中学生達は、口笛で、足拍子をとりながら、肩をくんで、たッたッたッと歩きました。
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けむりもみえずウ くももなく
かアぜもおこらず なみたたず
かがみのごときィ こうかいはァ
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 そうです。ふたりの学生は、一杯帆に風をはらんだ船のように、肺臓に一杯空気をふくらませて、出帆しました。
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かアぜもおこらず なみたたずウ
たッ たッ たッ
[#ここで字下げ終わり]
 小さな中学生達の航海は、大通《おおどおり》を真《まっ》すぐに歩くことよりも、人の知らないような航路をとる方が面白いに違いないと思われました。それで、二人はそうしました。
「この芋の山はどうだい!」そこは青物
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