を、すぐ私《わたし》どもはきヽつけました。五十三|次《つぎ》の絵双六《ゑすごろく》をなげだして、障子《しやうじ》を細目《ほそめ》にあけた姉《あね》の袂《たもと》のしたからそつと外面《とのも》をみました。
四十ばかりの漢《をとこ》でした、頭《あたま》には浅黄《あさぎ》のヅキンをかぶり、身《み》には墨染《すみぞめ》のキモノをつけ、手《て》も足《あし》もカウカケにつヽんでゐました、その眼《め》は、遠《とほ》い国《くに》の藍《あを》い海《うみ》をおもはせるやうにかヾやいてゐました。棒《ばう》のさきには、鎧《よろい》をきたサムライや、赤《あか》い振袖《ふりそで》をきたオイランがだらりと首《くび》も手《て》をたれてゐました。
漢《をとこ》は自分《じぶん》のかたる浄瑠璃《じやうるり》に、さも情《じやう》がうつったやうな身振《みぶり》をして人形《にんぎやう》をつかつてゐました。
赤《あか》い襠《しかけ》をきた人形《にんぎやう》は、白《しろ》い手拭《てぬぐひ》のしたに黒《くろ》い眸《ひとみ》をみひらいて、遠《とほ》くきた旅《たび》をおもひやるやうに顔《かほ》をふりあげました。
…………奈良《なら》の旅籠《はたご》や三輪《みわ》の茶屋《ちやや》…………
五|日《か》、三|日《か》夜《よ》をあかし…………
と指《ゆび》おりかぞえ
…………二十日《はつか》あまりに四十|両《りやう》、つかひはたし
て二|歩《ぶ》のこる、金《かね》ゆへ大事《だいじ》の忠兵衛《ちゆうべえ》さ
ん…………
といつて、傍《かたは》らに首《くび》をたれた忠兵衛《ちゆうべえ》をみやつたガラスの眼《め》には泪《なみだ》があるのかとおもはれました。
…………科人《とがにん》にしたもわたしから、さぞにくかろう
お腹《はら》もたとう…………
思《おも》ひせまつて梅川《うめかは》は、袖《たもと》をだいてよろ/\よろ、私《わたし》の方《はう》へよろめいて、はつと踏《ふ》みとまつて、手《て》をあげた時《とき》、白《しろ》い指《ゆび》がかちりと鳴《な》つたのです。
私《わたし》は泣《な》きながら奥《おく》へはしりこみました。
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阿波鳴門順礼歌《あはのなるとじゅんれいうた》
ふる里《さと》をはる/″\
こヽに紀三井寺《きみいでら》
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