つてゐて、それを引けば畫室の鈴が鳴る仕掛になつてゐた。その鈴を引く數が同志の間だけに暗號を持つてゐた。
ある夜、私は一人の若い娘と二人きりでその青い家に住んでゐたのだが、鈴がけたたましく鳴つて「青い家が襲はれてゐるから、すぐ遁げよ」といふ信號であつた。
「お前はお家へお歸り、二人一所に遁げることは出來ないから」私は娘にさう言ふ。
「いゝえ、あたしはあなたと別れるのは死んでもいやです。それに世のために捧げた身體です。どうなつても構ひません」
「二つの神に仕へることは出來ない。世の中のためならどこにゐても出來る。さ、もう時がない」
夜はもうほのぼのと白みかけて、刷ガラスが紫色に見える。私は先づ、女を遁すために露臺へ通じた扉《ドア》を開けた。ひやりと朝の氣が胸へ流れこんだ。川だけが異常に明るい。ふと川下へ視線をやると五六町下の橋のあたりに、二十人ばかりの人間が急いでこちらへやつて來る姿勢をしてゐる。それがの川淺瀬で、ほのぼのと銀色をしてゐる川面に黒い影が動いてゐるのだ。
「おい、來たよ。白鳥橋までやつて来た」
私はまだ川下を瞶めたままさう叫んだ。
「君ピストルを持つてゐるかい」いつの間にか親友Aが後ろから聲をかける。
「そんなものはいらない、俺は人をやつつける氣がないから自分でも身を護らうとは思つてゐない。人間が人間をむやみに殺しはしないよ」
「でも村正だけは持つてゆきませうよ。まさかの時にはいつでも死ねるやうに」娘はさう言つて、しきりにトランクの底を探してゐる。娘は青い洋服をきてゐる、襟足のところに青いリボンで束ねた髪が搖れてゐる。いぢらしい後姿だ。こんな場面《シーン》がツルゲニエイフの「處女地」だつたか「貴族の家」だつたかにあつた、な。瞬間そんな考がちらと頭の中を過ぎる。
この夢の中では、川下からやつてくる人間が動いてゐる姿勢でありながらちつとも近づいて來ないのだ。それが何だか非常に不氣味であつたやうにおもふ。
その頃私は江戸川添の東五軒町の青いペンキ塗りの寫眞屋の跡を借りて住んでゐた。恰度前代未聞の事件のあつた年で、平民新聞へ思想的な繪をよせてゐたために、私でさへブラツク・リスト中の人物でよくスパイにつけられたものだつた。夢に出て來る「青い家」は、たしか東五軒町の家らしい。その家は恐らく今もあるだらう。夢の中の橋は、大曲の白鳥橋だと思はれる。
その頃は、こんな風な夢を絶へず見てゐたが、この頃は一切見なくなつた。でも時たま、強迫觀念におそはれることは白晝大通を歩いてゐる時さへある。群衆の中で行き違ひに歩く人が、私の名を囁いて件の人に注意してゐるのを聞くと、それが若い青年紳士であり若い令孃であつてさへも、私は實に不安を感じる。これらが知らないで先方だけに知られてゐることは嫌なものだ。昨晩も夜更けて下町から歸つてくると道玄坂で坂を下りてくる三人の若い紳士に逢つた。まん中の男が、私を見るなり、肘で連れをつゝいて、
「ユウーウ?」
「ダ」
さう言つてゐるのを聞いた。
さめての夢は、それが惡ければ惡いだけ、さめることがないから生活を不安にする、人間を臆病にする。去年九月一日から一週間ばかりの間に、夜も晝も道玄坂をすさまじい響をたてゝ下つていつた陸軍の軍用タンクの自動車は、私の頭に異常な不安を殘したと見えて、いつでも夜ふけてあの響を聞くと、實に荒唐無稽な恐怖におそはれる。
底本:「砂がき」ノーベル書房株式会社
1976(昭和51)年10月5日初版発行
※項の変わり目は、冒頭のごく短いものをのぞいて改頁されている。別丁の口絵を挟んだ後のみは、改丁扱いとなっているが、特にその箇所が大きな区切れ目を表しているわけではない。そこで誤解を避けるために、「改丁」されている箇所もあえて「改頁」と注記した。
※底本中には、「奥」と「奧」、「観」と「觀」、「懐」と「懷」、「騒」と「騷」、「髪」と「髮」など、新旧の関係にある文字が共に現れるが、統一はせず、ママとした。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:皆森もなみ
校正:Juki
ファイル作成:
2003年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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