タルチニイは夢で惡魔の曲を作つたといふが、私の版畫は未完成だ。
南人不夢駝、北人不夢象。といふが必ずしもさうとは言へない。私は曾て、朝鮮を見ない前に京城の夢を見た。後にいつて見ると、その夢の通りであつた。伊太利羅馬の近郊の廢園を夢に見て、スケツチに描いておいたが、いつかそこへいつて、夢に見た風景とおんなしなのに驚くかも知れない。ある事件や、ある風景を見て、おやおやこれはいつか見たぞ、と思ふことによく出會《でくわ》す。あの時もこれとおんなしやうな情態でこんな風なことを爲たり言つたりした、と思ふのだ。夢が現實になつたのか、夢と現實の錯覺なのか。霞ケ浦の牛堀といふ船着場がある。いつかの夏、船の都合でここへ上げられて泊つたことがあつた。夕方、街裏を散歩すると、畑をぬけて丘へ上つてゆく白い道が、どうも、いつか歩いたことがある氣がするのだ。そんな筈はない、はじめての土地だ。しかしこの氣がするといふ實感を飜すどんな理由もない。祖先の經驗したことが潜在意識になつて子孫に傳はるというやうなことや、肉體から遊離した靈がふらふらとこの邊を散歩したなどといふことがあるものだらうか。まあ、さうとでもしなければ
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