舖が日本橋七日市にある。
地震の際、主人何より先きに出入の職人の所へ樣子を身に往つた。着のみ着のまゝ避難してゐた職人を見て、まづ道具はと訊ねると
「如才はございません」と懐からバレンと刷毛《はけ》を取出して見せたといふ。紀友主人の感じていふ。さすが名人は違つてゐます、と。これが下職の名もない奴だとどさくさと逃げ後れたり、どちをふんできつと死んでゐるといふ。
そんな職人を抱へてゐる紀友の主人も、さすが名人だとおもふ。
聞く所によると、バレンなどといふものは、竹の皮のある時節のを採つてきて、たんねんに、纎をぬいて、それをより合せて長い綱にしてそれをぐる/\卷きこんで作るもので、とても手數と精進のいるものださうだ。そしてその刷る繪の線により面によつて、バレンの作り方も違つてゐるのださうだ。寫樂の不思議な鼻の線と、歌麿の脛のしなやかな線と、廣重の空の面を刷るバレンも手も違つてゐたのであらう。
刷色もまた、毛が切れて毛の尖端が割れてくるまで使ひこなしたのでないと、使へないものださうだ。
2
これも榛原の主人の話だが、小間紙をたつ職人がやはり地震の時、牛めし屋になつてゐるので、就いてきくと、たち庖丁を燒いたので、その邊の出來合では間にあはず、堺までいつて自分で自分の腕に合ふのを買ひにゆく旅費はなし、身に染みない仕事をするより、いつそ牛めし屋の方が氣樂ですからと、言つたと言ふ。この職人の自信もまたうれしいと思ふ。
3
ある學校の教師の話に
「ある學科を教へるに一時間では短いとおもふ。生徒も教師もその學科にやつと入つてこれからいう所で、ベルが鳴る。あれで一日に數時間、責任のない教授をしたつて、生徒は徒らに頭を掻亂するに過ぎないし、教師はただ申譯の時間を過すだけです」と。この話もおもしろいと思ふ。
4
間にあわせの文化生活、文化建築、バラツク文明、活動寫眞のセツトのやうな都市、そして活動のフヰルムのやうな生活者達。
5
かりの住居に植ゑた業平竹が今年の春は、もう欝然とした藪の趣きを持つてきた。たま/\古い落葉をかいてゐると、素足の足の裏をさすものが至る所にある。四月十六日。それは筍だ。去年の竹の秋に植ゑたのも、一昨年二三本植ゑたのも、一齊に今年は筍を出してゐる。その根はもう三尺四尺の長さにまで地中にはびこつてゐる
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