よめ、やしよめ、京の町のやしよめ」を唄つたものだ。
 ある年、祇園の蒼求《おけら》詣に、一家女中まで引連れて、蒼求の火を持つたまゝ、終夜運轉の京阪電車が嬉しさに、道頓堀のおそい茶屋で年越そばを祝つて、住吉へお詣りすると、ほのぼのと夜が明けはなれ、太鼓橋の上で初日出を拜んだ。ほがらかな心持でとうとう和歌浦までいつてしまつた。三ヶ日の雜煮もそこで祝つて、
「正月にはどうも生れた土地の米が食べたい」そんな事で、大阪から女中だけ京へ歸して、岡山まで、正月の餅を食べにいつたものだ。親も兄弟もそこにゐるのではなかつたが、心豐かな友達がゐて、その山莊へ私達を迎へて、匂のなつかしい備前米を食べさせてくれた。それから病みついて(それが原因でといふ意味ではない)有馬の湯に二週間ばかり、京へたどりついたのは、二月の下旬でもあつたらうか。
「それまで蒼求の火を消さないで持つて歩いたといふお話でせうね」とこの話をきいた友達がある時言つたが、蒼求の火はもとより、その時の道伴れであつた家刀自はもはやない。
「年の名殘りも心細けれ、亡き人の來る夜とて魂まつるこそ、あはれなりしか」とあるものの本を思出すのである。
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附記。蒼求の火といふのは、祇園社に大晦日の宵から元朝寅の刻へかけて行ふ削掛の神事に、一切の凶惡を除祓ふために、この削掛の火を參詣の人が蒼求(不祥を除く草にて火繩のごとく作りたるもの)に移して、その火を消さぬやうに持つて皈つて、元朝の羮を炊ぐ。そして火を一年中絶さないやうにすると幸福があると言はれてゐる。
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    ある眼

「あんな娘をどこが好いんだ、と訊かれると、さあ、ちよつと一口に言へないが」さう云つて、畫家のAは話し出した。
 彼女はただ普通のモデル娘として、私の畫室に通つてきてゐたのです。私も特別、彼女に注意を拂つてもゐませんでした。それほど、彼女は、ただの娘でした。年は十七八だつたでせうか、身體が大きいからと言つて、そのころ肩揚をおろしてゐました。
 彼女は、見たところそんな風で、人物にも性情にも特長のない娘でしたが、人から何か話しかけられたり、訊かれると返事のかはりに「まあ」と言つて、少し笑つた眼で相手を見返す癖がありました。
 その眼は、たいしてコケテイツシユなものではなかつたが、やはり年頃の娘ですから、黒く濡れて
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