もういつか實感に遠いものになつてゐる。たゞ、年の暮れてゆく姿ばかりが眼につく。
 いつもながら、場末の唐物屋にメリヤスの肌着が積まれ、大賣出しの立札がたてられ、三等郵便局の貯金口に人垣が作られ、南京豆の空袋が、風にふかれて露地を走る風景の中では、街角に傾いたまゝ突立つた瓦斯燈よりも、人間は慌しいと思ふことだ。
 もしそれ、新開地の洋食店のバルコンで廣告樂隊の奏する「煙も見えず」のマーチでも、うつかり聞されたら、今でさへとんでもない涙を流さうも知れぬ。
 といふのは、まだ家を持つたばかりの年の暮れに、その頃W大學の政治科にゐたNが來合せて、細君が鏡臺の引出しへしまつておいた正月餅の料を見付けて、どこかの斜めの細道で、「破門さん」と呼びかけられたのを、けつく好いしほにして、あくる日のまつ晝間、王道坦々と歸つてくると、家の近所の新開の洋食屋のバルコンで、件の「煙も見えず」の音樂だ。氣がとがめて、懐手で、政治科と二人で、空腹でものが哀れで、子供に交つて、ぼんやり樂隊を眺めてゐると、師走の二十九日のことだから、赤い手柄をかけた艶々の丸髷の女が、折も折、にこやかに近づいて來るのだ。それが細君で、讓葉と小松を一本、心ばかり淋しく提げた風情を今も忘れない。
 依然、その日暮しの破門さんは、シルクハツトを被つて伺候する光榮も持たない代りに、年始の禮を缺ぐ謂れもない。だから東京の新年の記憶と言へば、街ががらんとして、大禮服を着た兵隊が晴がましく歩いてゆくのを思出すくらゐなものだ。昔下宿屋の二階でよんだ、紅葉や一葉の作物の中にある東京の春の抒景は、もう古典になつたほど、今の東京の新年は、商取引と年期事務としてあるに過ぎないと、思はるる。
 富士山の見える四日市場に、紀州の蜜柑船がつくのさへもう見られまい。
 生れた國の方では、年の暮になると、母親の里から、姉の嫁入先から、男の子のために破魔弓を贈られるのを樂んだものだ。あゝいふ素朴なペザントアートがまだ田舍には殘つてゐるであらうか。今の子供達もあゝいふ心持で正月を待つてゐるであらうか。奥の座敷の炬燵へもぐつて、皮のすこし苦酸い雲州蜜柑を食べながら、酒倉の方で、もとをかく杜氏の唄を聞きながら、暦をまく老人の心境とはまた異つた心で、もういくつ寢たらと指を折つたものであつた。姉の嫁かぬ前には播州室津からきてゐた師匠が、いつも炬燵の女王で、「やし
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