だ」
と自分が彼に肩を並べるとY君が聞いた。何處に住んでゐるんだと彼は聞いたに違ひないのだが、説明がちよつと面倒だから、
「何處にでも」
「ぢや神樣のやうなものだね」
皆は一齊に笑つた。自分も笑つたが、
「今夜は何處へ泊るんだね」
さつきの戲談のつゞきで、
「信ずる者の所へ」
そうは答へたが、何故か笑へなかつた――皆も笑はなかつた。
帝劇の前へ來ると、皆に別れて、濠端を神田橋の方へ歩いた。月があつたのか知ら、二重橋が程好いおぼろの中に明るく見えた。田舍の小學校で善良な生徒であつた頃、讀本の挿繪で見た二重橋の歴史的壯厳の感じを受けた外、今夜のやうに重い美しい均勢を持つた二重橋を見たことはなかつた。明治神宮のどこやらを飾るために畫いたという藤島武二氏の繪を、いつか先生の畫室で見たのを思ひ出す。ちよつとドガの競馬場を思出させるやうな風格のもので、意氣な馬と馬車とシルクハツトを着た御者を前景にした二重橋の風景だつた。二重橋でも繪になるものだな、とその時思つた事だが、今夜は全く別な趣きを持つて見えた。
しかし、無宿の神樣は、ちよつとさう思つたきりで、足をも停めずに暗い濠端の敷石の上を、綱渡りの冒險の快感を、すこしづゝ味ひながら神田橋の方へ歩いた。
いつか藤村氏が「並木」という小説を書いたシーンはこの邊だつたな。あの小説の中だつたかな、何でも年老つて世にはぐれた男と、世に頼りない若い女とが、裏街裏街とさまよひ歩いて、人中へ出れば出るほど寂しくなつて、寄り所のない魂が二つ人目をさけて手をとり合つたことが書いてあつた。
無宿の神樣は、そんな事はどうでも好かつた。折しも後からすばらしいヘビーで駈けて來た電車がいま/\しかつたので、それへ飛び乘つた。「本郷肴町行」まゝよ、肴町なら恰度好い、高林寺へいつておしのの墓へでも詣つてやらうかな。
「やあ、また一所になりましたね」
さつき帝劇の前で別れたS君が乘つてゐる。變にはぐれた心持でS君はしばらく默つてゐたが、
「先頃の旅はどちらでした」ときく。「はゝあ、莊内の方は好いさうですね、女が美しくて」
氣まぐれにおそろしく雄辯になつて自分はしやべつてゐた[#「ゐた」は底本では「ぬた」]。
「莊内は、江戸の文化に影響されずに、浪華・長崎・金谷の港を經て日本海を船で、天平や切支丹がまつすぐに來たんですね。昔から傳つてゐる調度は無論だ
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