わけてもジヤアナリズムから來る思想的文化が渦をまいて、調和しないで、消化されないでゐるやうです。ある人が京都を評して、中樞神經のない思想生活のない田舍町だと言つたことは一面の觀察だと思ひます。しかし、京都人には恐るべきアナボリツクな所がある。ほんたうに人間が、人類の一人として愛に充ちた正しい純な生活を生活せうという誠實は、少しもないやうに見える。ほんとのことを決して言はない、こちらがほんとのこと言ふのを不思議がるばかりでなく裏をかいて、まるで反對な意味に取つてゐることが多い……。
 ……京都の女は皆それ/″\に市價を持つてゐることは、恐るべき進化か或は羨むべき退化です。古代ブリトン人の婚姻制度よりも徹底的に優秀な習慣を持つて居る。祇園の女で千や二千の貯金のない舞妓はないと聞いてゐます。普通の家庭の女でも、自分の所有に屬する着物を男に作らせるとか、良人に内密で金を貯へておくことは、極普通のことになつてゐるらしい。私が使って居た京都生れの女が「私も身賣りをしませうかしら」とある時都踊りを見せての歸り路で、眞面目に言ったのを聞いて驚いたことがあります。
 食ふに困るからといふのではない、どうかしてより多くの着物を、より美しい帶をしたい。またより多くのお金を貯金したい欲望が唯一の目的なんです。……
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    生活小觀

 三年ばかり東京に居なかったので、此頃人に逢ふと「どちらにお住ひです」と聞かれる。「どこにも住んでゐません」と答へたいが、それでは氣の知れない人に心ない感じを與へさうで、「まだきまりません」と答へる。どうせ私どもは下駄を造るやうに幾つも一時に建てた貸家へ入るのだから住むといふ心持なんぞする筈はないのだ。私の中學時代では、スヰートホームという言葉が今のデモクラシーのやうに若い心を動かすほど、まだ世間が穩かであつた、つまり生活に對する實感が異つてゐたのだつた。しかし、私は此頃はしみじみとあの頃とは別な内容からスヰートホームを望むことが切になった。自分の家がない爲であらうか、妻がない爲であらうか、いや/\それはもっと深いところから來てゐる要求のやうに思はれる。
 東京から遠い温泉の旅籠で、偶然東京地圖など披いて見る事がある。十數年間の東京生活が恰度外國の遊戲にある Who,When,Where,What のやうに思ひ出される。だが何時として何處として、
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