つもる思ひ」を持つてゆくのに、さて逢つて顏を見ると、もうなにもかにも心が充ちたりて、何も言ふことがないやうな氣がして、手のおきどころに困りながらだまつてゐるといふのである。
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     流れの岸の夕暮に

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愁うる人は山をゆき
思はれの子は川竹の
流れのきしのゆふぐれに
ものおもはねば美しき
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 水郷と言へばすぐ潮來《いたこ》を連想するほど、潮來は水郷として有名ではあるが、あやめが咲いて十二橋の袂に水樓のあつた昔はしらず、私が見た十七八年前の潮來でさへ、小唄に見るやうな趣はどこにもない、ぎらぎらと太陽の照りつける新開地のやうな田舍町だつた。今はどうであらう。しかし私の場合、景色が好いと言ひわるいと言ふのはいつも主觀的で、あてにはならないが、少年の時より青年の時よりも、だんだん自然を身にしみて感じるやうに、近年はなつたと思ふ。
 その後、潮來は知らないが、霞ケ浦を、土浦、白濱、牛堀、佐原、銚子と昔の讀本の挿繪のテイムス河の景色にあるやうな汽船に乘つて、ざわざわと蘆荻の中を風をたてて走つてゆく船の夜明方の心持は凉しく思ひ出せる。
 これもはや十數年前のことだが、銚子の川口から大利根を一マイルばかり溯つたところに松岸といふ遊び場所があつた。昔、伊達家の米船が着いたと言はれてゐる所だけに、流れの岸にたつ水樓のただずまひは、さすがに昔の全盛をしのばせるものがあつた。今はどうなつたか。それから、松岸から銚子へゆく川添の道もおもしろかつた。兩側に立並んだ蠣殼と小石とを屋根に乘せた軒の低い家と、家の間からちらちらと光る水を見たことを思ひ出す。多分車に乘つてこの道を通つたのだらう。屋根の上に見える白帆と青い蘆荻の色はまだ忘れない。
 自分がやつてゐる仕事のせゐか、色や形はよく憶えてゐるが、ものの名はすぐ忘れてしまふ。これは地名を忘れたが、琵琶湖から瀬多をぬけて宇治川の川上の水門のある所は、石山とともに螢の名所だつた。ある夏、瀬多から小舟を出して石山寺石門の下を過ぎてそこの村の、色のさめた蚊帳を釣つてくれた宿屋で、鯉のあらひと鯰の汁物のうまかつたことを思ひ出す。あの邊も、瀬多を中心にして、水と岸との趣が、霞ケ浦の茫漠さはないが、もさやくしのて好かつたとおもふ。ことに瀬多の唐橋の袂にあつた柳の古木は、どこか寫生帖に描いてあるはず
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