ひ立つたやうにこの手紙を書く氣になつたのはかうです。先月の二十五日からこちらの南座でもと藝術座にゐた若い役者たちがした芝居が、亡くなつた兄さんの事を書いた「飛行曲」といふ芝居だつたからです。むろんそれは澤田中尉のことを仕組んだのです。故中尉の心事はどうあつたか、當時軍隊の事情はどうあつたか知るよしもないが、あの芝居にあらはれてゐる事件を、私は低級な觀客の一人として涙ながらに見たことをおときさんに知らせれば好いのです。
澤田の扮した澤田中尉が佛國留學を命ぜられて横濱を出発する埠頭待合所の場で幕があく。筋書のかはりに繪本の中に書いてある梗概をこゝへ書きぬかう。
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我飛行界新進の花形として多大の囑望を集めた天野中尉はある重大任務を帶びてフランスへ派遣を命ぜられたが半途にして歸國し歸國後打つて變つた樣に酒色の巷に耽溺し世間をして驚きと失望に陷らしめた。あまり激變、轉化。昨日の淵は今日の瀬とかはる浮世の習とは言へそれにはまた纒綿とした色々の祕密が含まれて夜の夢さへのどかならず、しかも一朝夢さめて怱如飛行機上の人となり我國未曾有の妙技を發揮し數萬の観衆の手に汗を握らせたが爆然墜落して可惜二十有餘の若木の花を散らせてしまつた。有意か無意か嬌艶牡丹のごとき藝妓小富、崇高百合の如きフランスの少女エンミイ、清楚バラの如き吉本將軍令孃美彌子によつてすべての祕密は物語られ訴へられ見る人悉く泣かざるなし。
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と書いてある。
天野飛行中尉と相許してゐる將軍吉本の愛孃美彌子は、人知れず中尉を横濱の埠頭に送つて、海の方を向いて立つたまゝの幕切れは繪のやうでした。フランスの少女エンミイが天野中尉の友情に感じ、身が獨探の嫌疑を受け中尉に累を及ぼすことを悔いて鐡道自殺をしたという報を聞く中尉の思ひ入れで「なんだ酒だ、酒だ」という幕切れの澤田の藝は高田と高島屋とを交ぜて、それにこの人獨特の東京語とも地方語ともつかない一種の訛りのある言葉が、マンネリズムと感じない程度に話されてゐたのは、井上のあの京都のアクセントで話す東京語と好い對をなして面白いと思ひました。
芝居の役々に就いての批評や筋の運びを、おときさんに話してもきつとつまらないからもう止めよう。故中尉のために多くの觀客が事實として實感的な涙をこぼしたことを、おときさんにお知せすれば好いのです。
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