吾作どもめ、芝居へなんぞてんで足踏みもしをらないのだ――尤も切符をただで貰つた場合は別だが。ひとり女優に歌の非常にうまいのがあつた。おれは、あの方のことを想ひ出したて……おつと、畜生!……何でもなし、何でもなし……内證々々と。

   十一月九日
 八時に役所へ出かける。課長の奴、おれの出勤したのをまるで氣がつかないやうな顏をしてうせる。おれも負けずに、何處を風が吹くといふやうな顏ですましてゐてやつた。書類を調べたり照し合はせたりする。四時に退廳。局長の邸のそばを通つたが、誰の姿も見えなかつた。晩飯の後はおほかた寢臺のうへでごろごろして過した。

   十一月十一日
 けふは局長邸へ伺候して、お書齋で鵞筆《ペン》を閣下のは二十三本、そしてあの方……ひやあつ!……御令孃のも四本、削つて差しあげた……。閣下は鵞筆《ペン》が一本でもよけいに削つてあるのがひどくお好きだ。何にしてもお偉い方に違ひない! いつも默つておいでになるが、察するに、肚の中では始終いろんなことを考へていらつしやるのだらう。主《おも》にどんなことを考へていらつしやるのか、あの頭の中でどんなことが目論まれてゐるのか、それがひ
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