油も少しはまぜるので、地球全體におそろしく惡臭が漂ひ、鼻の孔に栓をする必要が起る。そのために出來た月が至つて軟らかな球體で、とても人間には住まはれなくて、今あすこには鼻だけが住んでゐる。だから人間は自分の鼻を見ることが出來ないのだ。それといふのも鼻が月の世界へ行つてゐるからさ。地球は重い物體だから、こいつが乘つかつた日には、われわれの鼻は粉微塵に潰れてしまふと考へるとおれはもう居ても立つてもゐられなくなつたので、靴下をはき、半靴をつつかけざま、大急ぎで參議院の議事堂へ駈けつけた――警察に命じて、月に乘つからせないやうに地球を取り押へさせようと思つたからだ。議事堂には、毬栗頭の大公たちがわんさとゐたが、この連中は物の道理をよく辨まへてゐたから、おれが『皆の者よく承はれ、地球が月に乘つからうとしてゐるのぢや、月を救つてとらせようぞ!』といふと、一同は言下におれの君命を果さうとて馳せ集まり、多くの者は壁へ擧ぢのぼつて月をつかまへようとしたが、丁度その時、例の總理大臣が入つて來た。それを見ると、一同は四方八方へと逃げ散つたが、おれは王のこととて一人あとに殘つてゐると驚ろいたことに總理大臣め、おれを棍棒でひつぱたきながら、もとの部屋へと追ひこんでしまつた。西班牙ではこのとほり民風に權威があるのだ!
如月の後に改まつた同じ年の一月
今だに西班牙といふ國の正體が掴めない。民風といひ、宮廷の儀禮といひ、まるで尋常一樣のものではない。分らない、どうも分らない、何もかもがさつぱり分らない。今日なども、坊主になんかなるのは厭だといつて、おれが一生懸命に喚いたけれど、たうとう頭を剃つてしまやがつた。しかし、冷たい水を頭にぶつかけられた時の氣持は、どうも憶えがない。兎に角あんな厭な想ひをしたのは生れて初めてだ。おれは狂人《きちがひ》のやうに暴れだすところだつたが、大勢の者に抑へつけられてしまつた。まつたく奇態な風習で、何のことやらさつぱり譯が分らん。愚にもつかぬ無意味な風習さ! こんな惡風をこれまで廢《よ》させなかつた歴代の王の無分別さ加減が分らない。かれこれ思ひ合はせると、どうもおれは宗教裁判の手にひつかかつたのぢやないかと思ふ。だがさうすると、おれは總理大臣だと思つてゐたのが、さしづめ大審問官といふところだ。それにしても、王樣が宗教裁判にかけられるといふのは、どうも腑に落ちない
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