も同じやうにしたけれど、おれが西班牙の王樣だといふことは氣振りにも見せなかつた。まだ宮中への參内も濟まさぬうちに、こんな大勢の人混のなかで正體を暴露しては具合が惡いと思つたからさ。おれが參内を躊躇してゐるのも、まだ今のところ西班牙式の禮裝が手許にないからだ。せめてガウンのやうなものでも手に入れることが出來たらなあ。裁縫師《したてや》に誂らへてやらうかとも思つたのだが、どいつもこいつも鈍物ばかりで、こちらの話がから分らないのだ。それに頓と商賣に不熱心で、相場なんかに陷りこんでゐたり、大方の奴が鋪道のうへでのらくらしてゐくさる。そこでおれは、拵らへてからまだ、たつた二度しか手を通したことのない、あの新らしい通常禮服をつぶして、あれでガウンを作つてやらうと、肚をきめた。しかし、あんな惡黨どもの手にかけて折角のものを臺なしにされては堪らないと思つたので、人目につかぬやうにぴつたり扉を閉めきつて、自分の手で縫ふことにした。何しろ裁ち方がすつかり異つてゐるので、おれはそれを鋏でずたずたに切りこまざいてしまつた。
日も想ひ出せない 月といふものも矢張りない
何が何だかさつぱり分らない
ガウンはすつかり下拵らへも出來て、立派に縫ひあがつた。おれがそれを着たらマヴラの奴がわつと驚ろきの聲をあげた。だが、おれはまだ參内を躊躇《ためら》つてゐる――今だに西班牙から使節がやつて來ないのだ。使節も從へないでは體裁が惡い。第一、おれの身分にいつかう威嚴が添はぬ。おれは今か今かと使節の到來を待ちあぐねてゐるのだ。
一日
使節の悠長さ加減にも呆れかへる。一體どんな故障があつて、かう遲れてるのだらう? また佛蘭西が邪魔だてをしてるのかな? 何しろ一番仲の惡い國だからなあ。郵便局まで出掛けて行つて、まだ西班牙から使節は到着してゐないかと訊いてみたが、郵便局長つたら話にならん間拔野郎で、何んにも知りやあがらない。その言ひ草がかうだ。『西班牙の使節なんてものは來てゐませんねえ。しかし手紙が出したいのなら、規定の料金で受けつけますがね。』と。馬鹿にしてやがる! 手紙がなんだい? 手紙なんて、全くくだらないものさ。手紙は藥劑師の書くもので、それも豫め酢で舌を濡《しめ》してから書かないと、顏ぢゆうに疱疹《ぶつぶつ》が出て堪つたものぢやないて。
マドリッドにて二月三十日
さ
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