て來たわねえ! あたし何だか胸がどきどきして、まるでしよつちゆう誰かを待つてるやうな氣持ちなの。しつきりなしに耳の中でわんわん音がするので、あたしよく片足をあげては立ちどまつて扉《と》の外に聽耳をたてるのよ。あたしね、あんただから打明けるのだけれど、ずゐぶん、いろんな牡犬《をとこ》につけまはされてゐるの。よくあたし窓の上へあがつては、品さだめをしてやるわ。中にはほんとうにいやな醜犬《ぶをとこ》もゐるのよ! 一匹なんか、とても不恰好な番犬で、お話にならない馬鹿でさ、その馬鹿だつてことがちやんと顏に書いてある癖に、いやに勿體らしくのそりのそりと往來を歩きながら、自分をひとかどの偉《えら》さまだと自惚れて、さも皆んなが惚れ惚れと眺めでもするやうに思つてゐるのよ。ちよつ、お生憎さま! あたしなんか、てんで見向きもしてやらないわ――なんの、そんな奴は眼中にもないといつた調子にさ。それから時々、お部屋の窓さきへ、とても怖いグレート・デンが一匹やつてくるのよ! どうせあんな不器用な奴にそんな氣のきいた眞似は出來つこないけれど、もし後足で立ちあがつたなら、ソフィーさまのお父さまより、まるまる首だけは高いだらうと思ふわ――そのお父さまだつてずゐぶんお背が高く、でつぷりした御恰幅なんだけれどさ。この木偶坊《でくのぼう》はよつぽど圖々しい奴に違ひないわ。だつてあたしが唸つてやつても、知らん顏の半兵衞で、顰めつ面ひとつ見せないのよ! 舌をべろりと出して、大きな耳をだらりと垂れたまま、窓をじろじろ覗きこむんですもの――ほんとに田吾作つたらないわ! でもね、〔ma《マ》 che`re《シェール》〕(いとしいかた)、かうして、やいのやいのと寄つて來る求愛者《をとこ》たちのうち、どれにもあたしの心臟《ハート》が平氣だとあんた思つて? ところがどうして、さうぢやないの……。ほんとに、あんたが見てくれたらと思ふのだけれど、一匹ね、お隣りの垣根を越えてやつて來る騎士《ナイト》があるのよ、トレゾールつて名前なんだけれど……。まあ、ほんとに 〔ma《マ》 che`re《シェール》〕(いとしいかた)、その犬《ひと》の好いたらしい顏つきといつたら!』
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ちえつ! くそ面白くもない!……頓痴氣め、よくもぬけぬけとこんなくだらないことばかり書けたものだ! 人間のことが知らして貰ひたいや!
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