今でも覚えてゐるが、その荒れはてた酒場は、その後ながいこと、あの悪魔の後裔《すゑ》めが自分で修復して棲んでをつたので、堅気な人はその側を通ることも避けるやうにしたものぢや。煤によごれた煙突からまつすぐに煙がたち昇つて、帽子がおつこちさうになるくらゐ仰むかなくては見えぬほど高く高く舞ひあがるとな、真赤な燠になつて曠野《ステッピ》ぢゆうに散らばつて落ちたものぢや。そしてその悪魔はな――あん畜生のことなど思ひ出すのも忌々しいけれど……その自分の棲家で、世にも哀れな声をあげて号泣しをるものぢやから、それに驚ろいた鴉の群れが、近所の樫の森から、これもまた奇怪な叫び声をあげて舞ひあがると、はたはたと翼さを鳴らしながら、空中へ乱れ飛ぶのぢやつた。
[#地から2字上げ]――一八三〇年――
底本:「ディカーニカ近郷夜話 前篇」岩波文庫、岩波書店
1937(昭和12)年7月30日第1刷発行
1994(平成6)年10月6日第8刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本の中扉には「ディカーニカ近郷夜話 前篇」の
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