辺に一|堆《やま》の灰燼が残つてゐるばかりで、それからは、なほもところどころ余煙がたちのぼつてゐた。一同はくだんの袋をめがけて駈け寄つた。だが、その中には金貨どころか、瀬戸物のかけらがいつぱい詰つてゐるだけであつた。哥薩克どもは釘づけにされたやうに、髭ひとすぢ動かさず、あいた口も塞がらずに、ただ棒だちに立ちつくした。彼等はこの怪異にすつかり怯えあがつてしまつたのである。
 それから先きのことはよく覚えてゐない。ピドールカはなんでも巡礼に出るといつて、父親の遺産を処分したが、数日の後には、果して彼女の姿が村から消え失せた。どこへ行つてしまつたものか、誰ひとり知るものがなかつた。おせつかいな老婆たちの言ふところでは、彼女もペトゥローの拉し去られたところへ行つてしまつたのだといふのぢやが、キエフから来た哥薩克の話では、あちらの大修道院で、骸骨のやうに痩せさらぼうた一人の尼僧が、絶え間なしに祈祷を捧げてゐるのを見かけたとのこと、その話の模様から推量するに、どうやらそれがピドールカの成れの果てらしかつた。又その話では、誰ひとりとして彼女の口から一と言の言葉も聞いたものがないとのこと、そして彼女は聖母マリヤの御像のために*縁飾《オクラード》を運んで徒歩《かち》で辿りついたとのことぢやが、その縁飾《オクラード》には目もくらむばかりに輝やかしい宝石が鏤ばめてあつたといふことぢや。
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縁飾《オクラード》 聖像の顔や手以外の部分を蔽ふ装飾。
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 まだこれだけでお終ひではない。化生の物がペトゥローを拉し去つた、その同じ日に、ひよつくりバサウリュークが姿を現はしたのぢや。誰もかもこいつの姿を見ると逃げ散つたといふ。村人は、こやつこそ財宝を掠めるために人間の姿に化けた悪魔で、汚れた手に財宝を掴むことが出来ん時には、若者をかどはかしてゆく、張本人に違ひないと気がついたのぢや。その年、村人は残らず、土小舎を引きあげて本村へ居を移してしまつたが、しかし、其処でもこの呪はしいバサウリュークのために安息は得られなかつたさうぢや。亡くなつた祖父の叔母がよく談したことぢやが、彼は叔母がオポシュニャンスカヤ街道の、以前の居酒屋を閉ぢたことで、誰に対してよりもひどく彼女に恨みを抱いて、極力その復讐をしようと企らみをつたのぢや。或る時のこと、村の頭だつた連中が酒場に集まつて、いはゆる身分相応な卓子会議を開いてゐたものでな、その卓子の真中にはかなり大きな仔羊の丸焼が置いてあつた。四方山の話がはずんで、いろいろの変化《へんげ》や奇蹟のことも話題にのぼつた。と不意に――それも誰か一人だけにさう見えたのなら、なんでもないのぢやが、正しく一同に――仔羊が頭をもたげ、その淫蕩《みだら》がましい眼《まなこ》が生き返つて爛々と輝やき出したかと思ふと、忽ちのあひだに、黒いごはごはした口髭が現はれて、一坐の連中の方へ向けてそれが意味ありげにもぐもぐと動き出したといふのぢや。一同はたちどころにその仔羊の首にバサウリュークの面相を見てとつた。祖父は今にもそいつが火酒《ウォツカ》をねだるのではないかと思つたさうぢや……。そこで堅気な老人連は、矢庭に帽子を掴みざま我が家をさして、先きを争つて逃げ帰つてしまつたとのこと。又これは別の話ぢやが、先祖から伝はつた酒杯《さかづき》を相手に、時をり管を巻くことの好きな寺名主が、ある時チビリチビリやりだして、まだ二杯とは傾けんのに、ふと見ると、その酒杯がこちらを向いてこつくりこつくりお辞儀をしてゐる。『ちえつ、勝手にしやあがれ!』つてんで、十字を切るより他はなかつたといふ!……ところがその女房にもやはり変なことがあつた。彼女が大きな桶で、捏粉《ねりこ》をこねにかかるとな、不意にその桶が踊りだしたのぢや。『これ、待て待て!』と呼んでも、いかなこと! 勿体らしく両手を脇にかつて、しやがみ踊りをやりながら、家の中ぢゆう踊りまはるのぢや……。お笑ひなさるが、祖父たちにはなかなかどうして、笑ひごとどころではなかつたのぢや。アファナーシイ神父が、村ぢゆうをまはつて、往還といふ往還に聖水《おみづ》を撒き、*灌水刷《クロピール》で悪魔ばらひをして歩いたけれど、なんの役にも立たなかつた。依然として長いあひだ亡き祖父の叔母は、夕方になると誰だか屋根を叩いたり壁をひつかくといつて、こぼしたものぢや。
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灌水刷《クロピール》 毛の長い、筆の形をした刷毛で、これに聖水を浸して人や物に撒りかける。
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 まだそれだけぢやない! 現在この村になつてをる土地は、まつたく平穏無事のやうぢやけれど、まだそんなに遠い昔のことでもないから、亡きわしの父はもとより、わし自身、
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