ディカーニカ近郷夜話 前篇
VECHERA NA HUTORE BLIZ DIKANIKI
イワン・クパーラの前夜(×××寺の役僧が話した事実譚)
VECHER NAKANUNE IVANA KUPALA
ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Vasilievitch Gogoli
平井肇訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)いつもの伝《でん》で

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)役僧|某《なにそれ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]

★:自注(蜜蜂飼註)記号
 (底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付く)
(例)修験者に相談したり、★怯え落しや癪おさへの

*:訳注記号
 (底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付く)
(例)昔の物語や、*ザポロージェ人の遠征、
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 フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチには一種奇妙な癖があつた。あの人はおなじ話を二度と繰りかへすのが死ぬほど嫌ひだつた。どんなことでも、もう一度はなして貰ひたいなどと言はうものなら、きまつて、何か新事実をつけ足すか、でなければ、まるで似ても似つかぬものに作りかへてしまふのが、いつもの伝《でん》であつた。ある時のこと、一人の紳士が、――とはいへ、われわれ凡俗にはああした人たちをいつたいどういつて呼ぶべきかが既に難かしい問題なんで、戯作者かといふに戯作者でもなし、いはば定期市《ヤールマルカ》の時にこちらへやつて来る、あの仲買人とおんなじで、矢鱈無性に掻きよせて、何彼《なにかに》の差別なく一手に引き受け、剽窃の限りを尽してからに、ひと月おきか一週間おき位に、いろは本より薄つぺらな小冊子を矢継ぎばやに発行するといつた手合なんだが――さうした紳士の一人が、他ならぬこの物語をフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチから聴きこんだ訳だが、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチの方はもう、そんなことはとつくに忘れてしまつてゐたのぢや。ところが或る日のこと、ポルタワから、他ならぬその紳士が豌豆色の上つ張りを著こんでやつて来たのぢや――この仁のことは、いつかお話したこともあるし、当人のものした或る小説は諸君もすでに一読されたことだらう――とにかく、やつて来るなり、この先生、小さな本を一冊だして、その中ほどを開いてわれわれに示したものぢや。フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチはやをら眼鏡を引きよせて、鼻へ掛けようとしたが、それに糸を巻きつけて蝋で固めておくことをつい忘れてゐたのに気がつくと、その本をわたしの方へさし出したのぢや。わたしは、これでもまあどうにか読み書きも出来るし、眼鏡をかけるにも及ばないので、さつそくそれを受けとつて読みにかかつたといふ訳さ。ところが、ものの二枚とははぐらないのに、あの人はいきなり、わたしの手を押へておしとどめたものぢや。
「ちよつと待つて下され! まづ初めに、いつたい何をお読みになるのか、それを一つ伺つておきたいものぢやて。」
 正直なところ、そんなことを訊かれてわたしは少々あつけに取られた。
「何を読むですつて、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチ? あなたのお話ですよ、あなたが御自身でなすつた物語ぢやありませんか。」
「いつたい誰がそんなものをわたしの物語だと言ひましたんで?」
「論より証拠ぢやありませんか、ここにちやんと刷りこんでありまさあね、※[#始め二重括弧、1−2−54]役僧|某《なにそれ》これを物語る※[#終わり二重括弧、1−2−55]と。」
「ちえつ、そんなことを刷りこみをつた奴の面に唾でも引つかけておやりなされ! 大露西亜人《モスカーリ》の畜生めが、嘘八百で固めをる! 誰がそんな風に話すもんですかい? まるで箍のゆるんだ桶みたいな、ぼんくら頭の野郎ぢやて! まあお聴きなされ、それぢやあ、改めて一つその話をいたしませう。」
 われわれが卓子へすりよると、彼は次ぎのやうに語りはじめた。
 わしの祖父といへば、(どうか、あのひとに天国の恵みがありまするやうに! またあの世では小麦粉の白麺麭《ブハニェーツ》と、蜂蜜をつけた罌粟餡麺麭《マーコフニク》ばかり鱈腹食べてをりまするやうに!)いや実に話上手な人ぢやつた。よく祖父が話をはじめると、まる一日ぢゆう席を立たずに聴き入つても飽きなかつたものぢや。とてもとても、今時の道化どもが口から出まかせの嘘八百を、ものの三日も飯を食はなかつたやうな舌まはりでやりだしたが最後、さつ
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