た。「下着《プラフタ》だの、いろんな布地だのをしこたま買ひこむつもりで駈け出して行きをつただから、彼女《あれ》の戻つて来ねえうちに、何もかも鳧をつけてしまはにやなんねえだよ!」
 パラースカは家の閾を跨ぐがはやいか、自分のからだが白い長上衣《スヰートカ》を著た若者の腕に抱きすくめられたのを感じた。彼はおほぜいの人だかりといつしよに、往来《おもて》で彼女を待ち受けてゐたのであつた。
「主よ、祝福を垂れ給へ!」と、チェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークが二人の頭の上に手を置いて言つた。「この二人が、とも白髪の末まで、幾ひさしく添ひとげまするやうに!」
 この時、群衆の中にざわめきが起つた。
「どうしてどうして、滅多にそんなことをさせて堪るもんか!」かう、ソローピイの配偶者《つれあひ》が躍起になつて喚きたてたが、群らがる人々がげらげら笑ひながら、後ろへ後ろへと彼女を押し戻した。
「逆せあがるでねえだよ、逆せあがるでねえだよ! おつかあ!」とチェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークは、頑丈なジプシイが二人がかりで女房の両腕を押へてゐるのを見て、いやに落ちつき払つて言ふのだつた。
「いつたん出来てしまつたこたあ、どうもしやうがねえだよ。変改《へんがへ》するつてことあ、おら大嫌えだで!」
「いけないつたら、いけないよ! そんな勝手な真似をさせてなるもんか!」と、ヒーヴリャはなほも喚き立てたが、誰ひとりそれに取りあふものはなかつた。幾組もの男女が新郎新婦をとりかこんで、二人のぐるりに蟻の這ひ出る隙もない舞踏の壁を作つてしまつた。
 粗羅紗の長上衣を著て長い捩《ねぢ》れた泥鰌髭をはやした楽師が弓《きゆう》を一触するや、一同の者が否応なしに、一斉に調子をそろへて踊り出す、その光景を眺めては、なんとも形容しがたい一種不可解な感に打たれざるを得なかつた。恐らく生涯に一度もその気むづかしい顔に笑ひを浮かべたことのなささうな連中までが、足拍子を取つたり、肩をゆすぶるのであつた。誰も彼もがゆらゆらと揺れながら、踊りまはつた。しかし、古ぼけた顔に墓場のやうなそつけなさを表はした老婆たちが、若い、喜々として笑ひ興ずる、元気溌剌たる人々のあひだに揉まれてゐる有様を一瞥したなら、更に奇妙で一層合点のゆかぬ思ひが心の奥底に湧きたつたであらう。まことにたわいもない老婆たちだ! 子供らしい
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