に断ちきられた。彼の眼の前には背の高いジプシイが突つ立つてゐた。
「いつたい何を売りなさるだね、お前《めえ》さんは?」
売り手は口をつぐんだまま、相手を、足の爪先から頭の天辺まで、じろりと眺めただけで、歩みを止めようともせず、手綱をしつかり手ばなさないやうにしながら、落ちつきはらつた顔つきで、かう答へたものだ。
「おいらが何を売るだか、自分の眼で見たらよかんべえ!」
「革紐を売りなさるだかね?」と、ジプシイは、チェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークの握つてゐる手綱を見ながら訊ねた。
「さうさな、牝馬が革紐に似とるやうなら革紐としておくべえか。」
「それでも、をかしいやね、お前《めえ》さん、それにやあ、どうやら麦藁ばつかり食はせなすつたと見えるだね?」
「麦藁ばつかり食はせたと?」
茲でチェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークは手飼ひの牝馬を突きつけて、この恥知らずな誹謗者の鼻をあかせてくれようものと、手綱をぐつと曳かうとしたが、しかし意外にも手応へがなくて、彼の手ははずみを喰つて頤へぶつかつた。見れば、手にあるのは断ち切られた手綱だけで、しかもその手綱には――おお怖ろしや、彼の髪の毛は一時に逆立つた!――※[#始め二重括弧、1−2−54]赤い長上衣《スヰートカ》※[#終わり二重括弧、1−2−55]の袖口のきれつぱしが結びつけてあるではないか!……ぺつと唾を吐いて、急いで十字を切ると共に、両手を泳ぐやうに振りながら、その思ひもかけぬ土産物から逃れようとして、彼は一目散に駈け出したが、その速いこと速いこと、血気の若者そこ退けといつた歩調《あしなみ》で忽ち群集のあひだへ姿を消してしまつた。
十一
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わが麦のことで他人に打たれる。
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――諺――
[#ここで字下げ終わり]
「とつ捉まへろ! そいつをとつ捉まへろ!」と数人の若者が狭い町はづれで呶鳴つた。そして気がつくと、チェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークは不意に頑丈な手で取り押へられてゐた。
「こいつを縛りあげるんだ! てつきりこいつめが、堅気な人間の牝馬を盗みやあがつたんだよ。」
「とんでもねえ! なんだつておいらを縛るだね?」
「あべこべにこいつの方から訊いてやがらあ! それぢやあ、なんだつて手前は、この定期市《ヤールマル
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