ディカーニカ近郷夜話 後篇
VECHERA NA HUTORE BLIZ DIKANIKI
呪禁のかかつた土地(×××寺の役僧から聞いた実話)
ZAKOLDOVANNOE MESTO
ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Vasilievitch Gogoli
平井肇訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)化生《けしやう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十|歩《あし》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#始め二重括弧、1−2−54]
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 いや、まつたく、もう話には倦きてしまつた! あなた方はどうお考へかしらんが、ほんとにうんざりしてしまふ。あとからあとから話せ話せで、捉まつたが最後、とんと、逃げ出すことも出来はせぬ。ぢや、まあ、お話をするが、もう金輪際、これがほんとのおしまひですよ。さて、あなた方のお説では、人間の力で、いはゆる悪霊を制御することが出来る、と言はれるのぢやが、それあもう、無論のこと、よく考へてみれば、この世にはどんなこともあり得る……。だが、こればかりは、さう一概に片づけてしまふことは出来ませぬ。化生《けしやう》のものが一旦人を誑らかさうと見込んだからには、どこまでも誑らかさずには措かぬ。それあもう、金輪際誑らかさずに措くものぢやない!……さて、それに就いて、こんな話がある。私どもは兄弟、四人だつたが、私はその頃まだ、からたわいもない、やつと十一か……いや、十一にはなつてゐなかつたらうて。今もまざまざと憶えてゐる。私が四つん這ひになつて駈け出して、犬の真似をして吠えた。すると親爺が首を振りながら、私を呶鳴りつけたものだ。※[#始め二重括弧、1−2−54]こりや、フォマ、フォマつたら! もう嫁を貰つてもええ齢《とし》をして、お主はまるで驢馬の仔みてえな、阿房な真似をさらすだ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 祖父もまだその頃は健在で――ああ、どうか、今頃は、あの世で楽にしやつくりをしてござるやうに――しやんしやんしてをつた。さうさう、何でも、ある時のこと……。それはさて、何のためにこんな話をするのだらう? もうまる一時間も煖炉《ペチカ》の中を掻き立てて、煙草の火を探してゐる人があるかと思へば、何の用があるのか、納屋の後ろへ駈けこむ御仁がある。ほんとに、どうしたといふのだらう!……気随になさるもよいけれど、それにしても、そちらからせがんだのぢやないか……。聴くなら、ちやんとして聴いて貰ひ度い!
 まだ、春のはじめのころから、父は煙草を売り捌きに、クリミヤ地方へ出向いてゐて留守だつた。荷馬車を二台仕立てて行つたのか、三台仕立てて行つたのか、その辺のことははつきり憶えてゐないが、何でもその頃は煙草の値のいいころだつた。父は三つになる弟をいつしよに連れて行つた――早くから行商を見習はせておかうといふ下心だつたのだらう。で、我れ我れは、祖父に、母に、私に、兄に、それから弟の五人で家にのこつた。祖父は街道筋に瓜畑を拵らへて、そこの番小舎で寝とまりをしてゐたが、瓜畑から雀や鵲を追つぱらふ役目に、私たちをいつしよにそこへ連れて行つた。私たちにそれが悪からう筈はない。何しろ、日にどれだけといふことなく、胡瓜だの、甜瓜だの、蕪だの、葱だの、豌豆だのを、矢鱈に詰めこむものだから、始終、まつたく雄鶏の鳴き声そつくりの腹鳴りがしたものだ。さて、そのうへに旨いことは、相次いで街道をとほる人々が、つい一つ食つてみたくなつては、てんでに、西瓜だの甜瓜だのを買つてゆく。界隈の村々からは、鶏や玉子や七面鳥を持つて交易に来る、といつた塩梅で。日々の暮しは、なかなか悪いどころではなかつた。
 しかし祖父には、街道筋を運送屋が毎日、五十台くらゐづつもとほるのが、何より嬉しかつた。馬車曳きどもといへば、御承知のやうに、世間のひろい連中だから、この手合が話をし始めたが最後、どうしてどうして、聴耳を立てずにゐられたものではない! 祖父にはそれがまた、空《すき》つ腹《ぱら》に団子と来てござる。それに、時には古い顔馴染に出喰はすこともある――祖父は随分よく人に知られてゐたから。――ところで、老人同士がいつしよに落ち合つた場合、何が持ちあがるかはたやすく判断がつくだらう。つべこべと、あの時はああだつた、それはかうだつたと……いやはやもう、何時のこととも分りもしない話を、思ひ出し思ひ出し、ならべ立てること、ならべ立てること。
 さて、或る時のこと――いや、ほんの、まるで今の先きのことのやうに思へるが――ちやうど日の入り頃、祖父は瓜畑へ、日中《につちゆう》、西瓜の日蔽にかけておく、葉つぱを取りのけに出てゐた。
「御覧よ、オスタップ」と、私が兄に対つて、「ほら、またあすこへ運送が来たよ!」
「どこへ運送が来ただ?」と、祖父は、ひよつと若い衆連に取つて食はれるやうなことのないやうにと、大きい甜瓜に記号《しるし》をしながら、きき咎めた。
 街道を、正に、荷馬車が六台ほどつながつてやつて来る。先頭に立つたのは、もう髭に胡麻塩のまじつた運送屋だ。それが、さうだ、ものの十|歩《あし》ばかり前まで来たところで、ピタリと足を停めてしまつた。
「やあ、御機嫌さんで、マクシム! 不思議なところでお目にかかるもんだね!」
 祖父は眼をぱちくりさせて、「ああ! 御機嫌さん、御機嫌さん! いつたい、どちらから来なすつた? ボリャーチカもをるぢやないか? 御機嫌さん、御機嫌さん、兄弟! おや、これはどうぢや! みんながいつしよぢやないか、クルトゥイシチェンコも! ペチェルイツィヤも! コヴェリョークも! ステツィコも! みんな、御機嫌さん! あつはつはつ! おつほつほ!」
 そして一同は接吻しあつたものだ。
 去勢牛《きんぬき》どもは軛を外して草を食まされ、荷物は道路においてけぼりにされた。そして一同は番小舎の前に車座になつて煙草を喫み出した。だが、何の煙草どころか、つべこべと話に夢中で一服として満足に喫つた者はない始末。おやつの後で祖父が甜瓜を客人たちにすすめた。そこでめいめい甜瓜を一本づつ手に取ると、小刀できれいに皮を剥いた、(どれもこれも、すれつからしの連中で、随分いろいろの生活《くらし》を経て、もう上流社会の食べ方もちやんと心得てゐて――今すぐにだつて貴人の食卓に侍ることも出来たくらゐだ)で、きれいに剥いて、てんでに指を突きこんでそれに穴をあけると、先づそこから汁《しる》を啜つて、それから一と切れづつ切り取つては口へ放りこみ始めたものだ。
「どうしたんだ、子供たち。」と、祖父が言つた。「何をぼんやり口を開けてをるのぢや? 踊りな、穀潰しども! オスタップや、お主の笛は何処にあるのぢや? さあさあ、カザーチカを踊るのぢや! フォマや、両手を腰にかつて! うん! さうぢや、さうぢや! ほら、サッサ! と。」
 その頃の私はずゐぶん身のこなしが敏捷だつた。年を取るとから駄目で! 今ぢやもう、ああはいかん。脚を輪に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]さうとするたんびに躓いてばかりをる始末だから。さて、祖父は運送曳きの連中といつしよに長いこと私たちの踊りを見まもつてゐた。私は、祖父の足がまるで何かに引つぱられるやうに、ちよつとの間もじつと一と処に停つてゐないのに気がついた。
「フォマ、御覧つたら。」と、オスタップが言つた。「きつとあの耄碌爺さんが踊りだすから!」
 どうだらう! 兄がさう言ふか言はぬに、もう爺さん辛抱を切らしてしまつたのだ。運送屋たちを前において、ひとつ達者なところを見せてやらうと思ひついたわけだ。
「かう、餓鬼ども! それが踊りぢやと思つとるのか? そうら、かういふ風に踊るもんぢやぞ!」祖父は踵で地面を蹴つて、両手をのばして、立ちあがりざま、さう言つた。
 さあ、かうなつては何も言ふがものはない。踊りと来たら、祖父は総督夫人の相手だつて立派にやつてのける達人だつた。私たち兄弟は脇へのいた。すると爺さん、胡瓜畑の傍の平らなところで、足をぐるぐる旋※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]させながら踊りだした。ところが、ちやうど半ばまで踊つて行つて、そこで一つうんと調子をつけて、旋風のやうに足をぱつぱつと投げ出しながら、得意のひと手を見せようとした時だ――足をあげようとしても、どうにも足があがらないではないか! 何といふ奇妙なことだらう! で、改めて踊り直しにかかつたが、まんなかまでゆくと、やつぱり駄目だ。どうしても、まるきり駄目なんだ! 両足が棒のやうに固くなつてしまふのだ。※[#始め二重括弧、1−2−54]かう、魔性の地点《ところ》ぢや! 悪魔のそそのかしだ! あの人間の敵、ヘロデめが絲を引いてゐくさるのぢや。※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 いやはや、運送屋たちの前で何といふ恥さらしなことだらう! そこで、また改めて踊り直しにかかつたが、まつたく、端から見てゐても気持よささうに、細かい達者なステップを踏んでゐる。ところが、中途まで来ると矢張り駄目だ! どうしても踊りぬくことが出来ない!※[#始め二重括弧、1−2−54]ええい性悪な悪魔めが! 饐《す》えた甜瓜にでも咽喉を詰らせやがれ! もつと小さい中にくたばりくさるとよかつたんだ、畜生め! この老齢《とし》になつて何ちふ恥をかかされるこつた!……※[#終わり二重括弧、1−2−55]さう言へばまつたく、誰か後ろでくすくす笑つた。
 で、爺さんが振りかへつて見ると、どうだらう、瓜畑もなければ、運送屋たちの姿も見えぬ。前後左右とも、がらんとした原つぱなのだ。※[#始め二重括弧、1−2−54]うへつ! 南無三……これはどうぢや!※[#終わり二重括弧、1−2−55]さう言つて、眼をぱちくりやりだしたものだ。が――どうやら、まんざら初めての場所《ところ》でもなささうだ。片方には森があり、森の蔭から何か竿のやうなものが突き出て、ずつと空高く聳えてゐる。何といふ奇態なことだ? それは祭司の家の野菜畑にある鳩舎ぢやないか! 片つ方にも、何か、やつぱり灰色のものが見える。よく見れば、郡書記がとこの藁小屋だ。ほいほい、悪魔め、何処へ引つぱつて来をつたことだ! 暫らくの間、あたりをうろうろ歩きまはつた祖父は、ふと、小径へ出た。月は見えず、そのかはりに雨雲の間からぼうつと白い斑点がのぞいてゐる。※[#始め二重括弧、1−2−54]明日は風が強いだらう。※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、祖父は思つた。見ると径のかたわきに塚があつて、その上でトロトロと火が燃えあがつた。※[#始め二重括弧、1−2−54]はあて、※[#終わり二重括弧、1−2−55]祖父は立ち停ると、両手を脇腹にかつたまま、じつとそれを見まもつた。と、その火は消えて、今度は少し離れたところで、また別の火がともつた。※[#始め二重括弧、1−2−54]埋宝だぞ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と祖父は叫んだ。※[#始め二重括弧、1−2−54]これあ、てつきり宝物がうづまつてをるに違ひない!※[#終わり二重括弧、1−2−55]で、早速、彼は発掘にかからうとして、もう手に唾を吐いたが、その時はじめて、自分が鋤もシャベルも持ち合はせてゐないことに、やつと気がついた。※[#始め二重括弧、1−2−54]ええつ、残念ぢや! うむ、だが、わかつたものぢやないて、ひよつとすると、ほんの芝土を取り除けるだけで、そこに奴さん鎮坐ましますつてなことかも! まあ仕方がない。とにかく後で忘れないやうに、目標《めじるし》だけでもつけて置かう!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 そこで、つむじ風に吹き折られたらしい手頃の枝をもぎ取つて、それを火のともつた塚の上へ載せておいて、小径について歩き出した。樫の若木の林はやがてまばらになつて、ちらほら籬が見え出した。※[#始め二重括弧、1−2−54]そうら、どうぢや? 俺が言はんこ
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