、つい一つ食つてみたくなつては、てんでに、西瓜だの甜瓜だのを買つてゆく。界隈の村々からは、鶏や玉子や七面鳥を持つて交易に来る、といつた塩梅で。日々の暮しは、なかなか悪いどころではなかつた。
しかし祖父には、街道筋を運送屋が毎日、五十台くらゐづつもとほるのが、何より嬉しかつた。馬車曳きどもといへば、御承知のやうに、世間のひろい連中だから、この手合が話をし始めたが最後、どうしてどうして、聴耳を立てずにゐられたものではない! 祖父にはそれがまた、空《すき》つ腹《ぱら》に団子と来てござる。それに、時には古い顔馴染に出喰はすこともある――祖父は随分よく人に知られてゐたから。――ところで、老人同士がいつしよに落ち合つた場合、何が持ちあがるかはたやすく判断がつくだらう。つべこべと、あの時はああだつた、それはかうだつたと……いやはやもう、何時のこととも分りもしない話を、思ひ出し思ひ出し、ならべ立てること、ならべ立てること。
さて、或る時のこと――いや、ほんの、まるで今の先きのことのやうに思へるが――ちやうど日の入り頃、祖父は瓜畑へ、日中《につちゆう》、西瓜の日蔽にかけておく、葉つぱを取りのけに出て
前へ
次へ
全24ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平井 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング