あ、奴さんここにござつたのかい!」と、鳥の頭が嘴で壺をほつつきながら、ピイピイ声で口真似をした。
祖父は脇へ飛びさがるなり、鋤を取り落してしまつた。
「ああ、奴さんここにござつたのかい!」と、木の頂上《てつぺん》から羊の頭が嘶《な》いた。
「ああ、奴さんここにござつたのかい!」と、木のうしろから熊が鼻づらを突き出して吼えた。
祖父はぞつとした。
「ここぢやあ、物をいふのも怖ろしいわい!」さう、彼はひとりごとをいつた。
「ここぢやあ、物をいふのも怖ろしいわい!」と、鳥の頭がピイピイ声で口真似をした。
「物を言ふのも怖ろしいわい!」と、羊の頭が嘶《な》いた。
「物を言ふのも怖ろしいわい!」と、熊が吼えた。
「ふうむ……」さう言つてから、祖父は自分でびつくりした。
「ふうむ!」と、嘴が鳴いた。
「ふうむ!」と、羊が嘶いた。
「ふうむ!」と、熊が吼えた。
祖父は胆をつぶして、うしろを振りかへつた。いやはや、何といふ夜だらう! 星もなければ月もなく、ぐるりはとんでもない難所だ。足もとは底もしれない懸崖で、頭上には山がさし迫つてゐて、今にも彼の上へ崩れ落ちて来さうに思はれる! そして祖父には、その山の蔭からへんな醜い面《つら》がめくばせをしてゐるのが見える。おやおや、鼻がまるで鍛冶屋の※[#「韋+備のつくり」、第3水準1−93−84]《ふいご》そつくりで、鼻の孔へは手桶に一ぱいづつ水を注ぎ込むことが出来るくらゐ! 唇と来たら、まつたくの話が、二本の丸太だ! 真赤な眼は仰むけに飛び出し、そのうへ、ベロリと舌まで出して、そいつがおどかしてゐくさるのだ。※[#始め二重括弧、1−2−54]勝手にしやがれ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、祖父は壺から手をひいて呟やいた。※[#始め二重括弧、1−2−54]お主の宝はお主にやるわい! 何といふ穢ならしい面《つら》ぢや!※[#終わり二重括弧、1−2−55]そして、すんでのことに一目散に逃げ出さうとしたが、あたりを見まはすと、以前どほり、何事もないので、また足を停めた。※[#始め二重括弧、1−2−54]これあ悪魔が嚇かしくさるだけぢやわい!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
で、またもや壺を掘りおこしにかかつたが、いけない、とても重くて駄目だ! どうしたものだらう! 今更手をひくことは出来ない! そこで、全身の力を籠めて、両手でその壺を掴んだ。※[#始め二重括弧、1−2−54]そら、よいしよ、よいしよ! もう一つだ、もう一つだ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、やつとのことで引きずり出した。※[#始め二重括弧、1−2−54]ふーつ! 先づ一服やらかさう!※[#終わり二重括弧、1−2−55]
嗅煙草入を取り出した。だが、先づ煙草を振り撒くに先きだつて、誰かをりはせぬかと、よくよくあたりを見まはしたものだ。どうやら、誰もゐなささうだ。ところが、おつ魂消たことには、不意に木の切株が喘ぎながら、むくむくとむくれあがつて来ると、耳があらはれ、真赤な眼がかつと見開かれ、鼻孔がふくらみ、鼻柱に皺がよつて、今にもくしやみをしさうになつた。※[#始め二重括弧、1−2−54]いや、煙草を嗅ぐのは止めておかう!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、彼は嗅煙草入をしまひ込みながら呟やいた。※[#始め二重括弧、1−2−54]また、悪魔の野郎に唾をひつかけられにやならんから。※[#終わり二重括弧、1−2−55]そこで彼は手ばやく壺を手に取ると、息のつづくかぎり、一目散に駈け出したが、どうやら後ろから、何者かが木の枝で彼の足を擲つやうな気配がする……。※[#始め二重括弧、1−2−54]はあ! はあ! はあ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と声を出すだけで、祖父はただもう、無我夢中に駈けた。そして祭司の家の野菜畑まで駈けつけて、やつと息を入れたものだ。
※[#始め二重括弧、1−2−54]祖父さんはいつたい何処へ行つてるんだらう?※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、もう三時間ばかりも待ちくたびれた私たちは、怪訝に思つた。もうとつくに、家からは、母が温い水団を壺に入れて持つて来てゐた。いつまで待つても祖父は帰つて来ない。で、私たちはまた、寂しく夜食をすました。夜食がすむと、母は壺を洗つて、さてその洗ひ水を何処へ棄てたものかとためらつた。何しろ辺りは、処きらはず畝になつてゐたものだから。すると、母のゐる方へ向つて桶が一つ、よちよち歩いて来るではないか。尤も空はかなり薄暗かつた。おほかた、誰か若い衆が巫山戯けて、うしろに隠れて桶を押して来るのだらう。※[#始め二重括弧、1−2−54]ちやうどいい幸ひだ、この桶へ洗ひ水をぶちまけてやらう!※[#終わり二重括弧、1−2−55]母はさう呟やくと、熱い洗ひ水をザンブとぶ
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