へ行つても食へつこない。それはさて、何気なくその肉饅頭《ピロシュキ》の下敷にしてある紙を見ると――なにか文字が書いてある。へんに思ひあたる節があるので、小卓《こづくゑ》のところへ行つてしらべて見ると、どうぢやらう――くだんの帳面が半分くらゐの丁数になつてをるではないか! あとは残らず婆さんめ、肉饅頭《ピロシュキ》を焼くたんびに、引きちぎつては使つてしまひをつたのぢや! だが、どうしやうがあらう、まさかこの老齢《とし》で、掴みあひができるではなしさ! 去年のことぢやが、たまたまガデャーチをとほつたので、まだその市《まち》へさしかかる前に、この一件についてステパン・イワーノ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチをたづねることを忘れまいとて、わざわざ*忘れな結びをしておいたほどぢや。それだけならまだしも、市《まち》なかでくしやみが出たら、それをしほに必らずあの仁のことを想ひ出さうと、しかと我れと我が胸に約束しておいたのぢやが、それもこれも無駄ぢやつた。市をとほりながら、くしやみもしたし、ハンカチで鼻汁《はな》もかんだけれど肝腎のことはすつかり忘れてしまつてゐたのぢや。で、やつと気がついた頃は、市の関門を六|露里《ウェルスト》ばかりも距たつてゐた。どうもしかたがない。尻切蜻蛉のままで印刷にまはすことになつてしまつた。だが、この物語のさきがどうなるか、是非とも知りたいとお望みの方には、ひとつガデャーチへ出むいて、ステパン・イワーノ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチに訊ねていただくまでのことぢや。あの仁は大悦びでこの物語を、恐らくは初めからしまひまで、お話しすることぢやらう。住ひは石造の教会堂のつい近所でな。あすこのとつつきに小さい横町があるが、その横町へ曲るとすぐ、二つめか三つめの門がそれぢや。あ、さうさう、それよりもよい目標《めじるし》は、庭に太い棒が立つてゐて、それに鶉がかけてあり、草いろの女袴《スカート》を穿いた、ふとつちよの女が出迎へる(ステパン・イワーノ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチが独り者だといふことを御承知おき願ふのも妨げにはなるまい)と、それが彼の邸なのぢや。それとも市場で先生をつかまへることも出来る。奴さんはそこへ毎朝、九時までには必らず出かけて、自分の食膳を賑はす魚菜をみたてたり、アンティープ神父や、それから請負商の猶太人などと話し
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