ゐるのに違ひない。ドニェープルには小舟が一つ浮かんでゐる……。誰が囚人のことなど、かれこれと心にかけてゐよう? 空には銀いろの三日月が出た。ふと、反対の方角から誰か道を急いでやつて来る。暗いのでしかとは見分け難いが、それはカテリーナがひつ返して来たのであつた。
「娘や、一生の頼みぢや! 獰猛な狼の仔でも、自分の母には噛みつかぬものぢやよ。――な、これ娘や、せめて一と目、この罪障の深い父の方を見ておくれ!」
カテリーナは耳に止めようともせず、歩《あし》を進めた。
「娘や、あの薄倖《ふしあはせ》なお母さんの菩提のためぢやよ!……」
カテリーナは立ちどまつた。
「ここへ来て、わしの最後の言葉を聴いておくれ!」
「異端者のあなたが、何の用があつてあたしを呼ぶのです? あたしを娘だなどと言はないで下さい! あたし達のあひだにはもう何の血縁もありませんわ。薄倖《ふしあはせ》なあたしのお母さんなどを引合に出して、あたしにどうしろといふのです?」
「カテリーナや! もうわしの最期も近い。わしは、お前の亭主がわしを馬の尻尾に繋いで野に放つか、それとも、もつともつと怖ろしい刑罰を考へ出すかもしれないこ
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