ことです。妻が良人の後に生き残つて何になりませう。ドニェープルが、あの冷たいドニェープルがあたしの墓場になるだけのことです……。けれど、坊やのことを考へてやつて下さい。ダニーロ、坊やのことを! 誰がふしあはせなあの子を温めて呉れませう? 誰があの子に、黒馬《あを》の背に跨がつて疾駆したり、自由と信仰のために戦ふすべを、哥薩克らしい酒の呑み方を、遊蕩の味を、教へて呉れませう? 死んでおしまひ、坊や、死んでおしまひ! お前のお父さんはお前なんかどうなつてもいいのだつて! そら御覧、あんなにお父さんは顔を反けていらつしやるでしよ。ああ、今こそあなたといふ人がよく分りました! あなたは獣《けだもの》です。人間ではありません! あなたの胸には狼が棲み、こころには蛇蝎《へび》が巣くうてゐるのです! あたしは、あなたの胸にも一滴の慈悲があり、盤石のやうなそのおからだにも人間らしい情けが燃えてゐるのだと思つてをりましたの。あたしはまあ、何てたわいなく欺されてゐたことでせう。あなたにはそれが、さぞ可笑しいでせうよ。あの無信仰な波蘭人の獣たちが、あなたの息子を火焔のなかへ投げ込んだら、そして坊やが刄《やい
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