んだもの。」
※[#始め二重括弧、1−2−54]あれはカテリーナの霊魂なんだな。※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、ダニーロは思つた。しかし、それでもまだ、身動きひとつすることも出来なかつた。
「懺悔をなさいまし、お父さん! お父さんが人を殺すたんびに、死人が墓の中から立ち上るのを、怖ろしいとは思はないのですか?」
「またしても古いことを!」と、荒々しく魔法使が遮ぎつた。「俺はどこまでも、一旦かうと思ひたつたとほり、お前にさせずには措かんのぢや。今にカテリーナは、この俺を恋するやうになる!……」
「おお、お前は妖怪《ばけもの》だ、わたしのお父さんではない!」と、彼女は呻くやうに叫んだ。「いいえ、お前の思ひどほりになんぞなるものか。なるほど、お前は妖術の力で魂を呼び出して彼女《あのひと》を苦しめるけれど、神様だけが彼女《あのひと》を御意《みこころ》のままになし給ふことが出来るのです。いいえ、カテリーナの躯《からだ》にわたしが宿るかぎり、そんな神意に背いた破倫を犯させはしません。お父さん! 最後の審判の日は近づきましたよ! たとへあなたがわたしのお父さんでなくつても、わたしに、愛する真実《まこと》の良人をば裏切らせることは出来ません。たとへわたしの良人が不実で、わたしを愛さなかつたとしても、わたしは良人を裏切るやうなことは決していたしません。神さまは、誓ひを破り、操を棄てるやうな人間をお愛しにはなりませんから。」
 さういつて、彼女はその蒼白めた眼を、ダニーロがしやがんでをる窓の外へじつと注いで、身動きもせず立ちつくした……。
「お主は何処を見てをるのぢや? 誰がそこに見えるのぢや?」と、魔法使が喚いた。
 透明なカテリーナはブルブルと顫へた。だがその時、すでにダニーロは地上へ降りて、忠実なステツィコを伴《つ》れて、山路をさして急いでゐた。
※[#始め二重括弧、1−2−54]怖ろしいことだ、怖ろしいことだ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]彼は密かにかう呟やいて、哥薩克魂の内に一種の怯気を覚えながら、足ばやに邸の庭を通り過ぎた。そこでは、煙管を銜へて坐つてゐる見張番の他は、皆ぐつすりと郎党たちが熟睡《うまい》してゐた。
 空には一面に星が瞬いてゐた。

      五

「まあ、ほんとに起して下すつて好かつたこと!」とカテリーナは襦袢《ソローチカ》の、刺繍をした袖
前へ 次へ
全50ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平井 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング