う言はれるまでもなく、眠つちやあゐない。うちの郎党《わかもの》どもは、昨夜のうちに鹿砦を十二まで設けたのだ。今に波蘭の雑兵どもには鉛の梅干をふるまひ、貴族たちには棍棒を喰はせて、一舞ひ舞はせてくれるわい。」
「で、お父さんはそのことを知つてゐるでせうか?」
「その舅《おやぢ》さんが俺の頭痛の種だて! 俺は今だにあのひとの根性を突き止めることが出来ないのだ。どうせ外国では、いろんな罪を犯して来たことだらうが、ほんとに、何だつて、かれこれひと月にもなるのに、一度も堅気な哥薩克らしい陽気な顔を見せないのだらう? 蜜酒さへ嫌つて飲まないのだ! いいかえ、カテリーナ、俺が*ブレストの猶太人からぶんどつて来た蜜酒さへ飲まないんだよ。こら、若者!」と、ダニーロは叫んだ。「穴倉へ一走《ひとつぱし》り行つて、猶太の蜜酒を持つて来い! それに火酒《ウォツカ》も飲まないんだ! 変てこな話さ! 主、基督をすら、あのひとは信じてゐないらしいよ、カテリーナ。ううん? お前はいつたい、これをどう思ふ?」
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ブレスト 正しくはブレスト・クヤフスキイと言ひ、波蘭ワルシャフスカヤ県下にある猶太人町。
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「まあ、ダニーロ、あなたは何といふことをおつしやるのです!」
「だつて、をかしいぢやないか!」と、小者から土器の水呑を受け取りながら、ダニーロは言葉をついだ。「異端の加特力教徒でも、火酒に眼がないのだ。飲まないのは土耳古人だけさ。どうだ、ステツィコ、穴倉でしこたますすつて来をつたな、お主《ぬし》?」
「ほんのちよつぴり、塩梅を見ましただけで、旦那!」
「嘘をつけ、碌でなしめ! 貴様の髭に蠅が一杯たかつとるぢやないか! お主のその眼つきでは、どうやら半樽は空《から》にして来たらしいぞ。ええつ、哥薩克、哥薩克! 何といふ勇ましい国民だらう! 何でも吝まず仲間に分ける癖に、酒のこととなると意地ぎたないのだ。カテリーナ、俺もずゐぶん久《しば》らく酔ひ心地にならなかつたやうだな。え?」
「まあ、ほんに長いことですわ! まだ、昨日……。」
「ううん、心配するな、心配するな、一杯よりは呑まぬから! おや、土耳古の僧正《イグーメン》の御入来だよ!」と、彼は舅が身を屈めて戸口から入つて来るのを見て、忌々しさうに言つた。
「これは又どうしたことぢや、娘!」と
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