と》あるものを、袋の中へ投りこんでやる。なんでも昔、阿房のカリャーダといふ者があつて、人々から神様だと思はれてゐたさうで、この『カリャードカ』といふ言葉はそこから生まれたとのことだ。だが、誰がそんなことを知つてゐるものか。こちとら如き凡俗の彼是いふべき筋合ではない。昨年、オーシップ神父は、悪魔の機嫌を取ることになるからと言つて、村々を流してまはることを禁止しようとした。だが、本当のことを言へば、讚仰歌《カリャードカ》の中にはそのカリャーダといふ人物のことは一言半句も詠み込まれてはをらぬ。よく唄はれるのは基督降誕の讚歌で、最後にその家の主人、主婦、子供など全家族の健康を寿ぎ祈つて歌を終るのである。(蜜蜂飼註)
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 この時、もし、仔羊皮の縁《へり》をつけて鎗騎兵型に仕立てた帽子に、裏に黒い毛皮をつけた紺色の外套を著こんだソロチンツイの陪審官が、いつも馭者を追ひ立てるのに使ふ、おそろしく器用に編んだ革鞭を手にして地方《ところ》の馬をつけた三頭だての橇に乗つて通りかかつたとしたら、まさしくその妖女《ウェーヂマ》を見つけたに違ひない、このソロチンツイの陪審官の眼を誤魔化すことの出来る妖女《ウェーヂマ》は広い世界にただの一人もゐない筈だから。彼はどの女の家では豚が幾匹仔を産んだとか、どの女の葛籠《つづら》には麻布《ぬの》がどれだけ入つてゐるとか、また堅気な男が祭りに衣類なり家財なりの何品《なに》をいつたい酒場へ抵当《かた》に置いたとかいふことを、細大漏らさず知つてゐる。しかしソロチンツイの陪審官は通らなかつた。それに他所《よそ》のことなど彼には用がなかつた――彼は自郡のことに忙殺されてゐたのだ。ところで、その間にも妖女《ウェーヂマ》はぐんぐん高く昇つて、今はただ一つの黒い小さな点となつて上空にチラホラ隠見してゐるだけである。だがその斑点が姿を現はすたんびに其処にあつた星が次ぎ次ぎと消えて亡くなつた。間もなく妖女《ウェーヂマ》はそれらの星を袖にいつぱい集めた。後には星はもう三つ四つしか光つてゐない。と、反対側の方角から別の斑点が一つ現はれて来た。だんだんそれが大きくなり、伸びひろがると、それはもう斑点ではなかつた。近眼《ちかめ》の人には、たとへ眼鏡の代りに警察部長の乗る馬車の輪を鼻に掛けたところで、それがいつたい何者なのか見分けることは出来なかつたらう。前
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