いて行くよりほかはなかった。【だが、もしかしたら思い違いかも知れないぞ。そうむやみに鼻がなくなる訳はないから。】こう思ったので、彼は鏡をのぞいてみるために、わざわざ菓子屋へ立ち寄った。好いあんばいに店には誰もいなかった。小僧たちが部屋の掃除をしたり、椅子をならべたりしているだけで、中には寝呆《ねぼ》け眼《まなこ》をして、焼きたてのケーキを盆にのせて運び出している者もあった。テーブルや椅子の上には、コーヒーの汚点《しみ》のついた昨日の新聞が散乱していた。【いや、これは有難い、誰もいないや。】と、彼は呟いた。【今なら、見てやれるぞ。】彼はおずおず鏡に近寄って、ひょいと中をのぞいた。【畜生め! 何という醜態《ざま》だ!】彼はそう口走って、ペッと唾を吐いた。【せめて鼻の代りに何かついているならまだしも、まるっきり何もないなんて……】
いまいましげに唇をかんで菓子屋を出た彼は、日頃の習慣に反して、誰にも眼をくれたり、笑顔を見せたりはすまいと肚をきめた。ところが、不意に彼は或る家の入口の傍で棒立ちになって立ちすくんでしまった。じつに奇態な現象がまのあたりに起こったのである。一台の馬車が玄関前にと
前へ
次へ
全58ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ゴーゴリ ニコライ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング