ラ・ポドトチナ
[#天から4字下げ]プラトン・グジミッチ様

【そうか】と、コワリョーフは手紙を読み終ってつぶやいた。【すると夫人には何の罪もなさそうだな。こいつは訝《おか》しいぞ! それにこの手紙の書きぶりは、罪を犯した人間の書きぶりとはまるで違う。】この八等官は、まだコーカサスにいた頃、何度も犯罪事件の審理に出張したことがあるので、こういうことには明るかった。【では、いったいどうして、何の因果でこんなことが起こったのだろうか? ちぇっ、てんでまたわからなくなってしまったぞ!】しまいにこう言って彼はがっかりしてしまった。
 そうこうするうちに、この稀有な事件の取沙汰は都の内外に拡がって行ったが、よくある例《ため》しで、いつかそれにはあられもない尾鰭《おひれ》がつけられていた。当時、人々の頭が何でも異常なものへ異常なものへと向けられており、ごく最近にも磁気学の実験が公衆の注意を惹いたばかりの時であった。その上、コニューシェンナヤ通りの*踊り椅子の噂もまだ耳新しい頃であったから、たちまち、八等官コワリョーフ氏の鼻が毎日かっきり三時にネフスキイ通りを散歩するという評判がぱっと立ったのも、別に不思議ではなかった。物見だかい群集が毎日わんさと押しかけた。誰かが、今ユンケル商店に鼻がいるとでも言おうものなら、たちまちその店のまわりには黒山のような人だかりがして、押すな押すなの雑沓で、はては警官の派遣を仰がねばならない始末であった。劇場の入口などで、いろんな乾菓子を売っていた、頬髯をはやした人品卑しからぬ一人の香具師は、わざわざ丈夫で立派な木の腰掛を幾つもこしらえて、一人に八十カペイカで物ずきな連中を腰掛けさせていた。ある老巧の陸軍大佐は、それが見たいばかりに、わざわざ早目に家を出て、群集を押しわけ押しわけ、やっとの思いでそこへ割り込んだものだが、じつに癪にさわることには、店の窓先で見たものといえば、鼻どころか、ありふれた毛糸のジャケツと一枚の石版刷の絵だけで、その絵というのは、靴下を直している娘と、それを木蔭から窺っている、折襟のチョッキを着て、頤髯をちょっぴりはやした伊達者《だてもの》を描いたもので、もうかれこれ十年以上も同じところにかかっているものであった。そこを離れた大佐はさも忌々《いまいま》しげに、【どうして世間は、こんなくだらない、嘘八百の噂に迷わされるのだろう?】
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