手で押えていてもいいのです。それに、うっかりした動作でいためてはなりませんから、ダンスもしないことにします。御来診のお礼には、もう、資産の許すだけのことは必ずいたしますから……」
「いや、手前はけっして、」と医者は、高くもなければ低くもない、が、懇々とした、非常に粘りづよい声で言った。「けっしてその、利慾のために治療を施しているのではありません。それは手前の抱懐する主義と医術とに反するからです。いかにも往診料はいただきます。しかしそれは拒絶してかえって気を悪くされてはと思えばこそです。無論、この鼻にしても、つけてつけられなくはありませんよ。しかし、それはかえって悪くするばかりだと申しあげているのです。これほど誠意をもって申しあげても、手前の言葉を信じていただかれませんのかね。まあ自然のなりゆきに任せるのが一番ですよ。そして冷たい水で精々洗うようになさいませ。なあに、鼻はなくても、あった時同様、健康で暮らせますよ。それに何ですよ、この鼻は壜へ入れてアルコール漬にしておくか、もっと手をかければ、それに強いウォッカと沸かした酢を大匙に二杯注ぎこんでおくのです――そうすれば、相当うまい金儲けができますよ。あまり高いことさえおっしゃらなければ、手前が頂戴してもいいんですがね。」
「いんにゃ、駄目です! 幾らになっても売るもんですか!」と、コワリョーフ少佐は自棄《やけ》に呶鳴った。「腐っても譲りませんよ!」
「いや、失礼しました!」と、医者は暇《いとま》を告げながら言った。「何とかお役にたちたいと思ったのですが……。是非もありません! でもまあ、手前の骨折りだけは見ていただきましたから。」こう言うと、医者は堂々とした上品な態度で部屋を出て行った。コワリョーフは相手の顔色にさえ気もつかず、恐ろしく茫然としたまま、わずかに医者の黒い燕尾服の袖口からのぞいていた雪のように白い清潔なワイシャツのカフスを眼に留めただけであった。
そのすぐ翌る日、彼は告訴するに先だって、佐官夫人に手紙を出して、夫人が彼に当然返すべきものを文句なしに返してくれるかどうか一応問い合わせて見ることに肚をきめた。その内容はつぎのようなものであった。
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拝啓
貴女のとられたる奇怪な行動は近頃もって了解に苦しむところに御座候。かような振舞によって貴女は何ら得られるところとて之無《これな》
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