く駄目だと宣告して、さて、宿の主婦の方を向いて、「ところで小母さん、あんたは時間を無駄にすることはないから、さっそくこの人のために松の木の棺を誂《あつ》らえときなさい。この人には槲《かし》の棺ではちと高価《たか》すぎるからね。」アカーキイ・アカーキエウィッチは、こうした自分にとって致命的な言葉を耳にしただろうか。もし耳にしたとしても、それが彼に激動を与えたかどうか、己れの薄命な生涯を歎き悲しんだかどうか、それはまったく不明である。なぜなら、彼はずっと高熱にうかされて夢幻の境を彷徨していたからである。彼の眼前には次から次へと奇怪な幻覚がひっきりなしに現われた。自分はペトローヴィッチに会って、泥棒をつかまえる罠のついた外套を注文しているらしい。その泥棒どもがしょっちゅう寝台の下にかくれているような気がするので、彼はひっきりなしに主婦を呼んでは、蒲団の下にまで泥棒が一人いるから曳きずり出してくれと強請《せが》んだりする。そうかと思うと、ちゃんと新調の外套があるのに、何だって古い半纏《はんてん》なんか眼の前に吊るしておくんだと訊ねたり、そうかと思うと、自分が勅任官の前に立って当然の叱責を受けて
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