が照りつけた時、彼はやつと正気づいて跳ね起きた。二度ばかり伸びをして、背筋をポリポリ掻きながら、ふと見れば、荷馬車の数が昨夜ほど多くは残つてゐない。馬車ひき連中は夜明け前に発つてしまつたものと見える。我れに返つて、さて仲間はと見ると、くだんの哥薩克は傍らに寝てゐるが、ザポロージェ人の姿が見えぬ。問ひ糺して見ても誰ひとり知つてゐる者がない。ただその場に外套がひとつ残つてゐるきりだ。祖父は恐怖と疑念に捉へられた。馬はどうかと、行つて見れば、自分の馬もザポロージェ人の馬もゐない! これは一体どうしたことだらう? なるほど、ザポロージェ人は悪霊の手に浚つて行かれたにしても、馬は一体どうしたといふのだらう? とつおいつ思案にくれた挙句、祖父はかういふ結論に達した――悪魔の奴はてつきり徒歩《かち》でやつて来をつたのにちがひない、ところが地獄までは決して近い道程《みちのり》ではないから、さてはおれの馬まで失敬してゆきをつたのだらう、と。彼は哥薩克の誓ひを守りおほせなかつたことが返すがへすも残念だつた。※[#始め二重括弧、1−2−54]まあいいさ、※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、彼は考へた。※[#始め二重括弧、1−2−54]どうも仕方がない、徒歩で出かけることにしよう。ひよつと途中で定期市《ヤールマルカ》がへりの博労にでも出会つたら、また、なんとかして馬を買ふことぢや。※[#終わり二重括弧、1−2−55]で、彼は帽子をかぶらうとしたが、その帽子が見当らぬ。考へて見ると、昨日あのザポロージェ人と、ちよつと帽子の取り換へつこをしたままになつてゐたのだ。祖父は、ぢだんだ踏んで口惜しがつた。何から何まで悪魔の手にしてやられてしまつたのだ! ほいほい大総帥《ゲトマン》からの恩賞も水の泡だ! 女帝への上書が飛んでもないものの手に渡つてしまつたのだ! ここで祖父はくそみそに悪魔を罵つたから、さぞかし、悪魔の奴、地獄で何度も嚔《くさ》めをしたことだらう。だが、いくら悪態をついてみたところで今更なんの役に立つ筈もなく、祖父が何べん項《うなじ》を掻いても好い分別は浮かばなかつた。はて、どうしたものだらう? そこで結局、他人の智慧を借りることにした。ちやうどそのとき酒場にゐあはせた、堅気な人たちや、馬車ひきや、ちよつと立ち寄つただけの客などを集めて、かくかくの次第でまことに困つたことが出来《しゆつたい》してしまつたと、一部始終を打ち明けた。馬車ひきどもは棒を頤杖について、しきりに首を傾げながら長いあひだ考へてゐたが、この基督教国で大総帥《ゲトマン》からの上書を悪魔がかつ浚つて行つたなどといふ面妖な話は、つひぞこれまで聞いたこともないと言つた。他の連中はまた、悪魔と大露西亜人《モスカーリ》にかつぱらはれたものは決して二度と再び手に戻ることがないとつけ加へた。ただひとり酒場の亭主だけは、なんにも言わずに部屋の隅に坐つてゐた。祖父はそこで亭主の方へ近寄つた。総じて人が口を噤んでゐるのは、いい分別を持つてゐる証拠だ。ただ、この亭主はあまり口の軽い方でなかつたから、祖父が五|留《ルーブリ》金貨を一つ衣嚢《かくし》からつまみ出さなかつたものなら、彼はなんの得るところもなく、いつまでも亭主の前に棒だちに立ちつくしたに過ぎなかつただらう。
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ゴルリッツア 小露西亜の代表的な舞踊の一種。
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「それぢやあ、その上書をどうして見つけたものか、ひとつお前さんに教へて進ぜやんせう。」と、亭主は祖父を傍らへ呼んで言つた。祖父はほつと胸をなでおろした。「わつしは、一と目でお前さんが歴乎とした哥薩克で、決して意気地なしでねえことを見抜きましたわい。そうら見なされ! この酒場からほんの僅かゆくと、道が右手へをれて森の中へ入つてをる。野原がうつすら暗くなる頃、仕度をととのへて出かけなさるのぢや。あの森の中にはジプシイが住んでをつて、妖女《ウェーヂマ》が火掻棒に跨がつて空を翔けまはるやうな晩に限つて、巣窟《あな》から出てきて、鉄を煉《う》つのぢや。だが、そのジプシイ共が実際どんな生業《しやうばい》をしてをるのか、そんなことは知らなくともよい。森の中でやたらにトンカントンカンと音がする筈ぢやが、その音の聞えて来る方角へは行かぬことぢや。そのうちに焼け残りの立木のそばを過《よ》ぎる小径へひよつこり出るから、その小径についてずんずん先きへゆきなされ……。さうすると、やたらに茨の棘《とげ》がひつかかり出して、道は深い榛《はしばみ》の叢みの中へはいるが、それでもかまはず、さきへさきへと行かつしやれ。すると小さな小川の縁へ出るだから、そこで初めて足をとめなさるのぢや。用のある相手にそこで会はつしやるぢやらう。それから衣嚢《かくし》の中から、
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