く押しひろがつて、輝やき、息づいてゐる。下界は隈なく銀《しろがね》の光にあふれ、妙なる空気は爽やかにも息苦しく、甘い気懈《けだる》さを孕んで、薫香の大海《うみ》をゆすぶつてゐる。神々しい夜だ! 蠱惑的な夜だ! 闇にとざされた森は霊化したもののやうにさゆらぎもせず、厖大な陰影《かげ》を投げてゐる。また、かの池や沼はおだやかに鎮まりかへり、その水面の闇と冷気は暗緑の園に邪慳らしく閉ぢこめられてゐる。野桜と桜桃《さくらんばう》の樹のおぼこらしい叢林《しげみ》は、その根をおづおづと冷たい泉のなかへ伸ばしてゐるが、時々葉ずれの音を立ててざわめくのは、夜風といふ浮気ものがちよいちよい忍び寄つては接吻するのに、腹を立ててゐるのでもあらうか。見わたすかぎり地上の風景はまどろんでゐる。けれど天空は息づいてをり、万象《ものみな》が奇しくも、荘厳である。そして人間の魂の奥底にも銀いろの幻像《まぼろし》が際限もなく、いみじき諧調をなして群がりおこる。神々しい夜だ! 蠱惑的な夜だ! と、不意に、あらゆる森羅万象が活気づく――森も、池も、曠野も。荘重なウクライナの小夜鳴鳥《ナイチンゲール》の啼き声が降るやうにわき
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