まあ、暫らく休ませてやりなせえ!」と、蒸溜人《こして》がその手を掴んで引きとめながら、言つた。「これあ、なかなか好いお得意ですからね、かういふ御仁が多ければ多いほど――われわれの酒蒸溜場《さかこしば》も繁昌するといふもんでしてな……。」
だが、そのとりなしは決して親切気から出たものではなかつた。常々この蒸溜人《こして》は大のかつぎやであつたから、この折もすつかり腰掛に尻を落ちつけてゐる人間を戸外《そと》へ追ひだすのは、何か禍ひを招く因《もと》になると考へたからであつた。
「どうも、耄《ぼ》けて来たちふものかな!……」と、カレーニクは腰掛の上へ横になりながら呟やいた。「かりに酔つてゐたにしたところで、こんなはずあねえだて。それにおらあ、酔つちやゐねえんだ。どうしてどうして、酔つてなんぞゐるもんけえ! 何もおら嘘を言ふことあねえんだ。おらはこれを、あの村長の面前でだつて立派に言つてのけて見せるぞ。村長がなんでえ? あん畜生め、くたばつてしめやがりやあ好い! ふん、唾でもひつかけて呉れらあな! あの一つ眼入道め、荷馬車にでも轢き殺されてしめやがれば好いに! 寒中に、ひとに冷水なんぞぶつかけやがつて……。」
「ちえつ、この豚めが、家《や》のうちへ入るばかりか、卓子へ足まで掛けやがる。」さう言ひざま、村長は憤然として席を立つたが、ちやうどその時、だしぬけに、ガチャンと窓の硝子が粉微塵にくだけて、大きな石塊《いしころ》が一つ彼の足もとへ飛んで来た。村長はその場に立ち竦んだ。「一体、どこの首くくり野郎だ?」と、その石塊《いしころ》を拾ひあげながら彼は喚いた。「こんな石つころを投げこみをつたのが、どいつだか判つて見ろ、いやといふほど、そやつを蹴飛ばして呉れるから! なんといふ悪戯《わるさ》をしくさるのぢや!」彼はその石塊《いしころ》をにぎつて爛々たる眼差でそれを見つめながら言葉をつづけた。「そやつこそ、こんな石で咽喉でもつまらせをれば好い……。」
「お止しなせえ、お止しなせえ! 鶴亀々々!」と、蒸溜人《こして》が顔色を変へて遮ぎつた。「どうぞこの世でもあの世でも、そんな悪口はたたきなさるまいものぢや、鶴亀々々!」
「ふん、庇ひだてをしなさるのぢやな! なあに、あんな野郎は、くたばつちまやがれば好いんだ!……」
「と、飛んでもねえことを! あんたは、死んだわつしの姑《おふくろ》の身に起つたことを御存じないと見えますね?」
「姑《おふくろ》さんの身にだと?」
「ええ、姑《おふくろ》の身に起つたことでがすよ。なんでも或る晩げのことで、さう、今頃よりもう少し早目の時刻だつたでがせう、みんな夕餉の卓《ぜん》についてをりましたのさ、死んだ姑《おふくろ》に、死んだ舅《おやぢ》、それに日傭男に日傭女と、子供が五人ばかりとね。姑《おふくろ》は煮団子《ガルーシュキ》を少し冷《さま》さうと思つて大鍋から鉢へ小分けにして移してをりましたのさ。仕事の後で、皆んなひどく腹がへつてたもんだから、団子の冷《さめ》るのが待ちきれなかつたんでさあね。長い木串に団子を突きさしては食《や》りはじめたもんで。するてえと、不意に何処からともしれず、とんと素性も分らねえ男が入つて来て、お相伴にあづかりたいといふんでさ。空《すき》つ腹《ぱら》の人に食はせねえつて法はありませんやね。で、その男にも串を渡したもんで。すると、まあ驚ろくまいことか、その男はまるで牛が乾草を食ふやうに、がつがつと団子を詰めこむのなんのつて、一同がまだやつと一つづつ食べて、次ぎのを取らうとして串を差し出した時にやあ、鉢の底はまるでお邸の上段の席みてえに、きれいさつぱりと片づいて何ひとつ残つちやあゐねえんでさ。姑《おふくろ》はそこで、また新たにつぎ足しましただが、今度はお客さんも鱈腹つめこんだことだから、たんとは食ふまいと思つてゐるとね、どうしてどうして、いよいよ盛んに貪るやうに、又ぞろそれもぺろりと空にしてしまつたでがすよ。腹の空《す》いてゐた姑《おふくろ》は心のなかで、※[#始め二重括弧、1−2−54]ほんとに、その団子が咽喉につまつて、おつ死んでしまへば好いのに!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と思つただね。するとどうでがせう。不意にその男が咽喉をつまらしてぶつ倒れてしまつただ。みんなが駈けよつて見ると、もう息はなかつたといひますだよ。窒息つてえ奴でさあね。」
「そんな業突張《ごふつくばり》な喰らひ抜け野郎にやあ、さうならねえのが間違つてまさあ!」と、村長が言つた。
「いんにや、さうぢやありましねえだよ。だつて、その時以来、姑《おふくろ》はどうにもそれが気になつて気になつてなんねえでがしてな。それに日が暮れると死人が迷つて来るつてんでがすよ。そやつが煙突のてつぺんに腰かけて、団子をくはへてるつてんでがすよ。
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