うつつのやうにばつたり倒れてしまふ。それから又しても囘想に耽りはじめて、再び狂暴になり、更に懊悩するのだつた。何といふ怖ろしい天罰だらう? ピドールカはまるで生きた心地もしなかつた。最初のほどはひとり家にゐるのが怖ろしかつたが、しまひには、可哀さうに、さうした悲しみにも馴れて来た。だが以前のピドールカの面影は跡形もなくなつた。頬のいろざしも微笑も影をひそめて、容色は衰ろへ、影は薄れて、美しい眼も泣き枯らしてしまつた。一度、さる人が彼女を憐れに思つて、熊ヶ谷に棲んでゐる巫女《みこ》のもとへ行つてみたらとすすめた。その巫女はこの世にある限りの、どんな病気でもよく癒《なほ》すといふので、大変な評判だつた。そこで彼女はいよいよそれを最後の手段にもと、思ひきつて出かけて行つて、いろいろと言葉をつくして、その老婆を伴つて家へ帰つて来た。それは折しもイワン・クパーラの前夜の宵のことだつた。ペトゥローは正体もなく腰掛のうへにぶつ倒れてゐたので、その新来の客にはまるで気がつかなかつた。ところが、やがて少しづつ頭をもたげると、相手の顔をまじまじと穴のあくほど眺めた。と、不意に、まるで断頭台のうへに立たされたやうに、からだぢゆうががたがた顫へだして、髪の毛がさつと逆立つた……。そして彼は、ピドールカがひやりとしたほど物凄い声をあげて笑ひだした。『思ひ出したぞ、思ひ出したぞ!』さう彼は、こをどりをして喚きざま、矢庭に斧を振りあげて、力まかせに老婆をめがけて、はつしとばかり、投げつけた。斧の刃が三寸ばかりも、樫の板戸へ、丁と打ちこまれた。と、老婆の姿はいつの間にか消え失せて、白いシャツを著た七つばかりの子供が頭べをつつまれて家の中ほどに立つてゐる……。敷布《シーツ》が落ちた。『イワーシ!』とピドールカが叫んで駈け寄つた。すると幻影《まぼろし》は足の先から頭の天辺まで、全身血まみれになつて、家ぢゆうを赤い光りで照らした……。びつくり仰天したピドールカは入口の土間へ逃げ出した。しかし僅かに正気を取りもどすと共に、良人の身を案じて引つ返さうとしたが、時すでに遅かつた! 眼の前に戸がぴつたり閉されて、とても彼女の手では開けられさうにもなかつた。人々が駈けつけて、戸をどんどん叩いた。戸は外れた。だが、内部《なか》はもぬけの殻だつた! 家ぢゆうに煙が立ちこめて、ただ、まんなかのペトゥルーシャの立つてゐた
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