えだ。』さう彼等は異口同音に言ふのだつた。『正教徒をたぶらかす悪魔からでなくて、どこからあんな富がころげこんで来るものか。いつたいどこからあの山のやうな金貨を手に入れたのだらう? それに、なんだつてあの男が金持になつたと同じ日に、不意にバサウリュークの姿が消えて無くなつたんだらう?』どうも人の臆測といふものは馬鹿にならんものでな! 一と月とたたぬうちにペトゥルーシャはまるで人間が変つてしまつた。いつたい彼はどうしたといふのか――さつぱり訳がわからん。同じところに坐つたまま、一と言も人とは口をきかず、しよつちゆう物思ひに耽つて、何事かを一心に思ひ出さうと骨折つてゐるらしいのぢや。どうかしたはずみに、ピドールカがやつと口をあかせると、妙にきよとんとしながらも、すこしは話もして、気分もいくらか晴れるやうなのぢやが、ふと、くだんの袋を見ると、『待て待て、どうも思ひ出せんわい!』さう口ばしつて、またもや深い物思ひに沈んで、再び何事かを思ひ出さうと一心不乱になるのぢや。時々じつと、長いあひだひとつ場所《ところ》に坐つてゐると、いかにも何もかもが初めから脳裡《あたま》に浮かびあがつて来さうな気がするのぢや……が、やはりまたぼうつとしてしまふのぢや。どうやら、自分は居酒屋に坐つてゐるらしく、火酒《ウォツカ》が運ばれて来る、火酒《ウォツカ》が舌に焼けつく、火酒《ウォツカ》はとても厭だ、誰かそばへ近よつて来て肩を叩く、その男が……しかし、それから先きはまるで眼のまへに霧がかかつたやうで、とんと思ひ出せぬ。汗が顔からたらたら流れる、彼はぐつたりして、その場に居竦まつてしまふのだつた。
ピドールカはありとあらゆる手段《てだて》をつくした。修験者に相談したり、★怯え落しや癪おさへの呪術《まじなひ》もしてみたが――しかし、なんの験《しるし》もなかつた。
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★ わたしの地方では人が悸病《おびえ》にかかつた時、その原因を知るために『怯え落し』をやる――それには先づ錫か蝋を溶かして水の中へ流しこむのだ。するとそれが病人を怯えさせてゐるものの姿に似た形を現はす、それで怯えはすつかり落ちてしまふのぢや。『癪おさへ』といふのは吐気《むかつき》や腹痛の時にやるもので、それには大麻の切れはしに火をつけてコップのなかへ入れ、それをば病人の腹のうへに水を盛つて載せた鉢の
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