の五十羽とはありますまいし、玉子はおほかた腐つてるといふ始末ですよ。しかし、正直なはなし、ほんとに喜ばしい贈物といへば、ハヴローニヤ・ニキーフォロヴナ、ただあなたから頂くものの他にはありませんからね!」さう言つて祭司の息子は、甘つたるい眼つきで女を眺めながら、間近く擦りよつた。
「さあ、これがあなたに差しあげるあたしの贈物なんですよ、アファナーシイ・イワーノ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチ!」さう言ひながら女は、卓子の上へ皿小鉢を出したり、さもうつかり外れてゐたといはんばかりに、上着の釦を掛けたりして、「肉入団子《ワレーニキ》に、小麦粉の煮団子《ガルーシュキ》に、それから*パムプーシェチキと、*トヴチェーニチキと!」
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パムプーシェチキ 捏粉を煮た一種の食物。
トヴチェーニチキ 捏粉に肉を包んで油揚にしたもの。
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「それあもう、これを、どんな御婦人がたより上手なお手際でおつくりになつたつてえことは、賭をしてもかまひませんよ!」さう言ひながら、祭司の息子は片手でトヴチェーニチキを取りあげ、片手で肉入団子《ワレーニキ》を引きよせた。「しかし、ハヴローニヤ・ニキーフォロヴナ、わたしの胸はどんなパムプーシェチキやガルーシュキにも増してもつともつとおいしい御馳走が頂きたくつてギュウギュウいつてるのですよ。」
「さあ、このほかにどんな食べものがお望みなのか、あたしにはちよつと分りかねますわ、アファナーシイ・イワーノ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチ!」この肥つちよの別嬪は、いかにも腑に落ちないといつた容子《ふり》をして、さう答へた。
「あなたの愛情《おなさけ》にきまつてるぢやありませんか、ハヴローニヤ・ニキーフォロヴナ!」かう囁やくやうに言ふと、祭司の息子は片手に肉入団子《ワレーニキ》を持つたまま、片手でがつしりした女のからだを抱きよせた。
「まあ、思ひがけない、何を仰つしやることやら、アファナーシイ・イワーノ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチ!」さう面映げにヒーヴリャは眼を伏せて答へた。「ひよつとしたら、まだそのうへに接吻をなさるつもりなんでしよ!」
「それについて、これは自分自身のことですけれど思ひきつて白状しますがね、」と、祭司の息子が言葉をついだ。「あれはたしか、まだ神学校の寄宿にゐた頃のことなんですよ、今もまざまざと憶えてゐますが……。」
 この時ふと、戸外《そと》で犬の吠える声と、門を叩く音が聞えた。ヒーヴリャは急いで駈けだして行つたが、すぐに真蒼《まつさを》な顔で引つ返して来た。
「まあ、アファナーシイ・イワーノ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ッチ、大変なことになりましたよ。おほぜいの人が門を叩いてゐますの、それに確か、この家の教父《おやぢ》の声もするやうなんですの……。」
 とたんに祭司の忰は肉入団子《ワレーニキ》を咽喉《のど》につまらせてしまつた……。彼の両の眼は、たつたいま幽霊のお見舞を受けたといはんばかりに、かつと剥きだしになつた。
「はやく、此処へあがつて下さい!」狼狽《うろた》へたヒーヴリャは、天井のすぐ下のところに二本の横梁《よこぎ》で支へられて、そのうへにいろんながらくた道具がいつぱい載せてある棚板を指さしながら叫んだ。
 咄嗟の危急がわれらの主人公に勇気を与へた。彼ははつと我れにかへると同時にペチカの寝棚《レヂャンカ》へ飛びあがり、そこから用心しいしい棚板の上へ攀ぢのぼつた。一方ヒーヴリャは、なほも烈しく、やつきになつて扉《と》を打ちたたく音に急きたてられて、前後の弁へもなく門の方へ駈け出して行つた。

      七

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さあこれが奇々怪々な話なんでな、皆の衆!
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――小露西亜喜劇より――
[#ここで字下げ終わり]

 市場では奇怪な事件が持ちあがつた。といふのは、何処か荷物のあひだから※[#始め二重括弧、1−2−54]赤い長上衣《スヰートカ》※[#終わり二重括弧、1−2−55]が飛び出したといふ取沙汰でもちきりなのだ。輪麺麭《ブーブリキ》を売つてゐる婆さんのいふところでは、豚に化けた悪魔が、何か捜しものでもするやうに、ひつきりなしに荷馬車といふ荷馬車を片つぱしから覗きまはつてゐるのを見かけたとのことだ。この噂は忽ちのうちに、もうひつそりと鎮まつた野営の隅々にまでひろまり、その輪麺麭《ブーブリキ》売りの婆さんといへば、酒売り女の天幕とならんで屋台店を出してゐて、朝から晩まで用もないのにコクリコクリお辞儀をしたり、ふらつく足でまるで自分の甘い商売物そつくりの形を描いて歩くやうな女ではあつたけれど、人々はその話だけは信用しない方が罪悪だとすら考へた。搗てて加へて、例の郡書記が壊れかかつた納屋で見たといふ怪異が、尾鰭をつけてそれに結びつけられたため、夜に入ると共に人々は互ひにからだを擦りよせるやうにした。平和は破られ、怖ろしさのために夜の眼も合はぬといつたていたらく、そこで気の弱い連中だの、泊るべき家のある手合はそれぞれ引きあげることにした。チェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークも、教父《クーム》や娘とともに御多分にもれずその仲間だつたが、強つて彼等といつしよに家へつれて行つて泊めてくれとせがむ連中を同道して、さては激しく門を打ち叩いてわれらのヒーヴリャを周章狼狽させた次第である。教父《クーム》はもう少々きこしめしてゐた。それは彼が荷馬車を曳いたまま二度も前庭《には》を行きすぎてから、やうやく自分の家を見つけたことからみてもわかる。客人たちも、みんなもう、ひどく上機嫌で、遠慮会釈もなく主人より先きに家のなかへづかづかと入りこんだものである。チェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークの女房《かみさん》は、一同が家の隅々を穿鑿しだした時には、まつたく針の蓙に坐つてゐる思ひだつた。
「姐《あね》さん、どうしただね!」教父《クーム》は家のなかへ入るなり声をかけた。「お前さんまだ瘧《おこり》をふるつてるだかね?」
「ええ、なんだか加減が悪いもんで。」さう答へながら、ヒーヴリャは不安らしく天井の下の棚へ眼をやつた。
「おい、おつかあ、あすこの馬車から水筒を持つて来てくんなよ!」さう、教父《クーム》はいつしよに戻つて来た自分の女房に※[#「口+云」、第3水準1−14−87]ひつけた。「皆の衆といつしよに一杯やるだよ。あの忌々しい婆あどもめが、他人《ひと》にも話されねえくらゐおらたちを嚇かしやあがつただからなあ。まつたく、皆の衆、おらたちはくだらねえことで引きあげて来たもんぢやねえかね!」と、彼は土器の水呑みでグビグビやりながら語をついだ。「屹度あの婆あどもは、後でおらたちを嘲笑《わら》つてゐくさるだよ、でなかつたら、この場へ新らしい帽子を賭けてもええだ。よしんばまた、真実それが悪魔だつたにもしろだよ――悪魔がいつたいなんだい? そやつのどたまへ唾でもひつかけてやるさ! たつた今、現在この場へ、たとへばこのおいらの眼の前へ、奴が姿を現はしたとしてもだよ、おいらがもし、そやつの鼻のさきへ馬鹿握《ドゥーリャ》を突きつけて呉れなかつたら、おいらは犬畜生だと言はれても文句はねえだよ!」
「それぢやあ、なんだつてお前さんは、急に顔いろを変へたりしただね?」と、お客の一人で、誰よりも頭だけぐらゐづぬけて背が高くて、いつも自分を勇者に見せよう見せようと心がけてゐる男が叫び出した。
「なに、おいらが?……勝手にしろい! 何を寐とぼけてゐるだ?」
 客たちはにやりと笑つた。口達者な勇者の顔にも北叟笑みが浮かんだ。
「なあに、この人だつて、今はもう青い顔なんぞするもんか!」と、他の一人が混ぜつかへした。「罌粟《けし》の花みてえな真紅な頬ぺたをしてるでねえか。これぢやあこの人の名前は、ツイブーリャ([#ここから割り注]玉葱[#ここで割り注終わり])ではなくて、ブーリャク([#ここから割り注]赤蕪[#ここで割り注終わり])か、それとも、こねえに人を嚇かしやあがつた、あの※[#始め二重括弧、1−2−54]赤い長上衣《スヰートカ》※[#終わり二重括弧、1−2−55]とでも言つた方がよかんべいに。」
 水筒が卓子の上をひとまはりすると、お客一同は前にもましてひときは陽気になつた。この時、もう疾うから、その※[#始め二重括弧、1−2−54]赤い長上衣《スヰートカ》※[#終わり二重括弧、1−2−55]のことで気をもみとほしで、束の間もその穿鑿ずきな心に落ちつきの得られなかつたチェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークが、教父《クーム》のそばへにじり寄つた。
「後生だからひとつ聴かせてくんなよ、兄弟! おらがいくら頼んでも、その忌々しい※[#始め二重括弧、1−2−54]長上衣《スヰートカ》※[#終わり二重括弧、1−2−55]の由来を聞かせてくれねえんだよ。」
「おおさのう! どうもその話を、よる夜なか話すのあ、ちつとべえ具合がよくねえだが、それでもお前や皆の衆の慰みになるちふことなら、(かう言ひながら、彼はお客の方へ向きなほつて)それにお客人たちも、どうやらお前《めえ》とおなじやうに、その妖怪《ばけもの》のはなしを聴きたがつてござるやうでもあるだから、ぢやあ、構ふことはねえや。ひとつ聴きなされ、かうなんだよ!」
 そこで彼はちよつと肩を掻いて、着物の裾で顔を拭いてから、両手を卓子の上へのせて、やをら語りだした。
「何でもある時のこと、どういふ罪でか、そこんとこあ、からつきし分らねえだが、一匹の悪魔めが焦熱地獄からお払ひ箱になつたちふだのう……。」
「馬鹿なことを、兄弟!」と、チェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークがそれを遮ぎつた。「どうしてそねえなことが出来るだよ、悪魔を地獄から追んだすなんてことがさ?」
「どうもかうもねえだよ、教父《とつ》つあん? 追んだしたものあ追ん出しただ、百姓が家《うち》んなかから犬を追んだすとおんなじによ。おほかたその悪魔の野郎は、なんぞ善いことをしようつてな出来心を起しをつたのかもしんねえだよ、それで出て行けつちふことになつたのぢやらうのう。ところがその可哀さうな悪魔にやあ、どうにも地獄が恋しうて恋しうて、首でも縊りかねねえほどふさぎこんでしまつただよ。だが、どうにもしやうがねえだ! そこで憂さばらしに酒を喰《くら》ひはじめをつたものさ。そうら、お前も見た、あの山蔭の納屋さ、今だにあの傍《わき》を通るにやあ、あらたかな十字架で、前もつて魔よけをしてからでなきやあ、誰ひとり近よる者もねえ、あの納屋を棲家にしをつてな、その悪魔の野郎め、若えもののなかにだつて滅多にやねえやうな、えれえ放蕩をおつぱじめたものだよ。もうなんぞといへば、朝から晩まで酒場に神輿《みこし》を据ゑてゐくさつたちふことだ!……」
 ここでまたしても、むつかしやのチェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークが語り手を遮ぎつた。
「兄弟、阿房なことを言ふもんでねえだ! 悪魔を酒場のなかへ入れる馬鹿が何処の国にあるだ? 都合のいいことにやあね、悪魔の手足にはちやんと鈎爪がついてるだよ、それに頭にやあ角が生えてるでねえか。」
「ところが、どうして、そこに抜《ぬか》りはねえつてことよ、ちやんと奴さん帽子をかぶり、手袋をはめてゐくさつただもの。どうして見わけがつくもんけえ! 飲んだの飲まねえのといつて、たうとうしめえにやあ、持つてゐただけ、きれいさつぱりと、残らずはたいてしまやあがつただよ。長げえあひだ信用しとつた酒場の亭主も、やがてのことに信用しなくなつてのう。とどのつまり悪魔の奴め、自分の身に著けてゐた赤い長上衣《スヰートカ》をば、せいぜい値段の三が一そこそこで、その当時ソロチンツイの定期市に酒場を出してゐた猶太人のとこへ飲代《のみしろ》の抵当《かた》におくやうな羽目になつただよ。抵当《かた》において、さて猶太人に向つて、※[#始め二重括弧、1−2−54]いいかえ猶太《ジュウ》、
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