たれてしまつた。教父《クーム》は口をぽかんとあけたまま、まるで化石したやうにからだを硬ばらせてしまつた。両の眼は今にも飛び出しさうなくらゐ、かつと見開かれ、指をひろげた両手は宙に浮いたままビクとも動かなかつた。例の長身《のつぽ》の勇士が、驚愕のあまり天井へ跳ねあがつて、横梁《よこぎ》を頭で小突き上げたため、棚板が外れて、ガラガラつと物凄い音を立てざま、祭司の息子が地面《した》へ転げ落ちてきた。
「ひやあつ!」と絶望的にわめいて一人の男は、怖ろしさのあまり腰掛の上へ打つ伏しになつて、両手と両足でそれにしがみついた。
「助けてくれえつ!」さう喚いて他の一人は、頭から外套をひつかぶつた。
 再度の驚愕でやうやく我れに返つた教父は、わなわなと顫へながら女房の裾のしたへ潜《もぐ》りこんだ。長身《のつぽ》の勇士は狭い焚口から無理やりに煖炉《ペチカ》のなかへ這ひこむなり、自分で焚口の扉を閉めてしまつた。チェレ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ークはといふと、まるで熱湯でもぶつかけられたもののやうに、帽子の代りに甕を頭にかぶつて、戸口へ駈け出すなり、狂人《きちがひ》のやうに、ろくろく足もとも見ずに往来をひた走りに走つたが、やうやく疲労のために駈ける足の速力がゆるんで来た。彼の心臓はまるで磨粉場《こなひきば》の臼のやうに激しくうち、汗が玉をなして流れた。疲れはてて、今にも地面へぶつ倒れさうになつた時、ふと彼の耳に、誰か後ろから追つてくるらしい跫音が聞えた……。彼の息の根はとまつてしまつた……。
「悪魔だ! 悪魔だ!」と、彼は気を失ひながらも精いつぱいに叫んだが、一瞬の後には、知覚を失つて地上へぶつ倒れてしまつた。
「悪魔だ! 悪魔だ!」さういふ声が彼の後ろの方でも聞えた。そして彼は何ものかがけたたましく自分に襲ひかかつたやうにだけは感じたが、ここで彼の記憶の糸はとぎれて、窮屈な棺桶のなかの不気味な佳人のやうにおし黙り、そのままビクとも動かずに路の真中にのびてしまつた。

      九

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前から見ればともかくも、
後ろ姿は、あれ、鬼だ!
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――民話の中より――
[#ここで字下げ終わり]

「なあ、ウラース!」と、往来に寝てゐた連中の一人が、真夜なかに頭をもちあげて言つた。「おいらの近くで誰だか、悪魔だあつて叫んだでねえか!」
「お
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