した。恰かも高価なダマスクス産の雪白のモスリンを懸けたやうに、月光が山々の起伏したドニェープルの沿岸をつつむと、山蔭はひときは遠く松柏の森の方へ遠退いた。
 ドニェープルの中流に一艘の独木舟《まるきぶね》が浮かんでゐる。舳先には二人の小者が坐つてをる。彼等は黒い哥薩克帽を片下りにかぶつて、櫂の先きで、燧鉄《うちがね》から散る火花のやうな飛沫を四方へ跳ねあげてゐる。
 何故この哥薩克どもは歌を唄はないのだらう? 彼等はとうに加特力僧《クションヅ》どもがウクライナの地へ侵入して、哥薩克の民を加特力に改宗させつつあることも、二日にわたり、*塩水湖《サリョーノエ・オーゼロ》附近で韃靼の軍勢が干戈を交へたことも口にしなかつた。どうして彼等に歌を唄つたり、勇ましい軍談《いくさばなし》に花を咲かせたりすることが出来よう。彼等の主《しゆう》ダニーロは、じつと物思ひに沈み、その緋色のジュパーンの袖が独木舟の縁から下へ垂れて水をしやくつてをり、また彼等の女主人《をんなあるじ》カテリーナは静かにわが児を揺ぶりながら、良人の顔からじつと眼を放さずにゐるが、彼女の、表布《おもてぬの》をきせぬ粋《いき》な羅紗服《
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