吐いてゐたといふのだ。だが、どうもかういふ話はどれもこれも信用が置けさうにない。何しろ、妖女《ウェーヂマ》を見ることの出来るのは、ソロチンツイの陪審官より他にはない筈だから。そんなわけで、名うての哥薩克連は誰も彼もさういふ噂話を耳にすると、手を振つた。『牝犬どもめが、つべこべと嘘八百を並べやがつて!』さういふのがいつもきまつて彼等の応酬であつた。
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聖彼得斎節《ペトロフキ》 使徒ペテロ及びパウロの祭礼に先だつ精進期、復活祭後第九週より六月二十九日(旧露暦)までの期間をいふ。
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 それはさて、煖炉《ペチカ》から這ひ出して身繕ひをしたソローハは、殊勝な女主人《かみさん》のやうに物をとり片づけたり、在るべき場所へ置きなほしたりし始めたが、家の中におつぽり出されてゐた袋には手も触れなかつた。※[#始め二重括弧、1−2−54]これはワクーラが持つて来をつたのだから、あれが自分で片附けるがいい!※[#終わり二重括弧、1−2−55]また一方、くだんの悪魔は、さつき、まだ煙突めがけて飛行しながら、チューブが教父《クーム》と腕をくみあつて、もうかなり家から遠く離れてゐるのを見てとつたので、彼は瞬く暇に煖炉《ペチカ》から舞ひあがつて、二人の先※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りをして、カチカチに凍てた積雪を四方八方へ掻き立て始めた。すると忽ち吹雪が捲き起つて、空中は真白になつた。雪は前後に網を引いたやうに飛びかひ、歩行者の眼といはず、口といはず、耳といはず、容赦なく貼り塞いでしまふほどであつた。そこで悪魔は、かうしておけば、チューブが教父《クーム》といつしよに後へ引つかへして、てつきり鍛冶屋と鉢合せをして、彼をこつぴどい目に合はせるだらう、さうすれば、さすがのワクーラも当分は絵筆をとつて、忌々しい戯画《ざれゑ》など描くことは出来なくなるに違ひない、さう思ひこんで、再びもとの煙突をさして引つかへした。

        *        *        *

 事実、チューブは吹雪が捲きおこつて、風が正面《まとも》から吹きつけ始めると、はやくも後悔の色を浮かべて、帽子の鍔をぐつとまぶかに引きさげながら、ぶつぶつと自身や、悪魔や、教父に向つて小言を浴びせかけた。とはいへこの忿懣はうはべだけのものであつた。チューブに
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