くつてしやうがないんだもの。屹度あたしを煤だらけにしてしまつたかもしれないわ。」[#「」」は底本では「※[#終わり二重括弧、1−2−55]」]
さう言つて鏡を取りあげると、またしても彼女は男の前でおめかしをやり出した。
※[#始め二重括弧、1−2−54]この女はおれを好いてゐないんだ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、首うなだれて、鍛冶屋は肚のなかで考へた。※[#始め二重括弧、1−2−54]この女には何もかもが玩具《おもちや》なんだ。それだのにおれは、この女の前へ出ると間抜けみたいに突つ立つたまま、脇へ眼をそらすことも出来ないのだ。この後もやはり、この女の前に突つ立つて、一生この女から眼を離すことが出来ないんだらう! 素晴らしい娘だ! 一体こいつが誰を愛してゐるのか、この女の胸のなかを知ることが出来たら、おれは何を投げ出したつて構やしない。だがさつぱり分らない、どだいこの女は人には用がないのだ。自分で自分にばかり夢中になつてゐて哀れなおれを焦らしてやがるのだ。おれの悲しみには何の光明もない。それでゐておれはこの女を、後にも先きにも誰ひとり愛したことのないやうな熱烈な想ひで愛してゐるのだ。※[#終わり二重括弧、1−2−55]
「あんたとこのお母《つか》さん、妖女《ウエーヂマ》だつてほんと?」さう言つて、オクサーナが笑ひだした。すると鍛冶屋も肚のなかからほほ笑まれて来るやうに感じた。その笑ひが心臓に反応し、微かに波だつ血管へと伝はつた。それについで、このやうな気持の好い笑ひを浮かべた顔を、存分に接吻することの出来ない口惜しさが彼の心をとざした。
「阿母《おふくろ》なんかどうだつていいさ。おれにとつてはお前が阿母《おふくろ》でもあれば、親父《おやぢ》でもあり、この世の中にある限りの大事なものだもの。もしも皇帝《ツァーリ》がおれを呼び出して※[#始め二重括弧、1−2−54]鍛冶屋のワクーラ、そちにとつてこの国ぢゆうでいちばん貴重なものを言つて見よ、何でも望みのものをそちに遣はすから。そちのために黄金《こがね》の鍛冶場を建てて取らせようか、そして銀の鎚で鉄を鍛へさせて遣はさうか?※[#終わり二重括弧、1−2−55]と仰せられたとしても、おれは、※[#始め二重括弧、1−2−54]そのやうな望みはござりませぬ。※[#終わり二重括弧、1−2−55]と皇帝《ツァーリ》にお答へ
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