ものかとH――氏に質ねると、H――氏は皮肉な調子で答えた。
『テイークの「蒼海万里の夢」だのユイスマンスの「さかさ物語」だのアイヒベルクの「学生ロマンティスト」だのゲーテの「ウェルテルの悲嘆」だのを読みたいのですか? お止しなさい。文学青年じみているのは、ロマンティストとしてこの上なく恥しいことです。……そんな風な本なら、僕は二万冊位名を挙げることが出来ますが、読書のために、読書するには、ポドレイアン図書館の蔵書の数程読まなければ甲斐がありません。併し、一冊も本を読まずにいることだって、可なりロマンティストらしいと云えるのです。』
そうして、H――氏は、私にハンス・アンデルセンの「王様の話」の類と、小学生用の自然科学の全集と、何処かの巫女が書いた「手相判断《キロマンシイ》」の本などをすすめてくれた。
H――氏はボヘミヤの侯爵のような工合に鳥の羽根をさした青羅紗の帽子をかぶって、散歩に出た。
服装に依る方法は最も効果的である。カーキ色の軍服を着て、軍歌を高唱して歩けば、リイプクネヒトだって、忠勇な兵隊と見えたに違いない。私も早速青羅紗の帽子を買って来て、羽根を飾って、散歩をこころみた。すると、果して、行き交う人の殆んど全部が、私の帽子に目をひかれて、私を振り返って見てくれた。私はほくほく者で、幾度も同じ通りを胸をそらして闊歩した。
ところが、或る晩私は一人で散歩している時にその帽子のお蔭で不良少年につかまった。薄暗い煉瓦の建物のある街角に立っていた肩のいかつい蒼白い顔をした青年が、私の腕を素早くとらえた。そして『ちょっと顔を借してくれ』と云って、私を無理矢理に建物の蔭へ連れ込むと、そこの暗がりに待っていた二三人の仲間と共に私を囲んで、金銭を強請した。私は拒絶した。すると、『生意気な野郎だ。へんてこれんなシャッポなんか被りやがって、大きな面するねい!』と云うが早いか、メリケンサックを嵌めた手が、したたか私の顔面を殴った。私は忽ち、石道の上に昏倒し、青い帽子と共に彼等の土足に踏みにじられてしまったのである。
『君は、屹度お洒落の若い衆のように身綺麗にし過ぎていたので、青い帽子迄が、女を誑すための嗜みのように思われたのですね。』とH――氏が云った。そして、ロマンティストは、何時もすべっこく髭を剃り立ての頤を光らせていたり、伊達色の当世風に身についた新調の衣服を着たり
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