氷れる花嫁
渡辺温

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)可愛《かわい》らしい

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)――我等、危険に[#「――我等、危険に」は太字]|瀕[#「瀕」は太字]《ひん》せり!

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符二つ、1-8-75]
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1 (溶明)晴れたる空。輝く十字架――教会の屋根だ。
2 教会。結婚式――青年とその十五になったばかりの可愛《かわい》らしい花嫁と。――花と、音楽と。
3 春の港に浮べる新造船。
4 帆柱の尖端《せんたん》に飜る船旗。――新しき五月の花よ。モンテ・カルロへ! 万歳!――と書かれてある。
5 船室には、青年と可愛い花嫁とがモンテ・カルロへ新婚旅行をするので乗り込んでいた。
6 二人は勿論《もちろん》恋人同志だったから、深く愛し合った。
7 出帆。――注意、この航海は処女航海である。
8 肥った船長。黒ん坊の運転士。大ぜいの水夫たち。
9 舵手《だしゅ》――一心に舵輪を廻している。
10[#「10」は縦中横] だが! 船尾に到ってよくよく見るならば、この船には全く一つの舵《かじ》もついていないのだ。
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造船工がヒョッとして付け忘れてしまったのらしい。そしてそのことを舵手を始め、船長も誰も知らないとは、ああ、なんたる失敗であろう!
[#ここで字下げ終わり]
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11[#「11」は縦中横] 風景。
12[#「12」は縦中横] 大洋を走る運命の船。
13[#「13」は縦中横] 楽しい航海生活。――遊戯や、踊りや、酒や……。
14[#「14」は縦中横] 一等船客たちの華美なる舞踏会。
15[#「15」は縦中横] 青年とその美しい花嫁も踊っている。
16[#「16」は縦中横] 突然花嫁は卒倒しかける。叫ぶ。
[#ここで字下げ終わり]
「あたし、寒くて寒くて、凍えそうだわ!」
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17[#「17」は縦中横] 青年はびっくりして、花嫁の華車《きゃしゃ》な人形のような体を抱き上げる。
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青年の顔に恐怖の色。叫ぶ。
[#ここで字下げ終わり]
「ガタガタ慄《ふる》えているね。お前は熱病にかかったのだ!」
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18[#「18」は縦中横] 船客たちのどよめき。
[#ここで字下げ終わり]
「熱病!」
「熱病……」
「印度《インド》洋の熱病だ!」
「印度洋の熱病だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
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19[#「19」は縦中横] 青年は花嫁の体を腕にかかえて、
20[#「20」は縦中横] そして船室のベッドへ運ぶ。
21[#「21」は縦中横] 船医が診察する。首を大きく振って、
[#ここで字下げ終わり]
「印度洋の特有な悪性の瘧《おこり》らしい」
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22[#「22」は縦中横] 忽《たちま》ち船全体に大袈裟《おおげさ》な消毒が始まる。
23[#「23」は縦中横] しかし、すでに遅く、悪疫は船内に瀰漫《びまん》しつつあった。まず花やかな薄羅に包まれた淑女たちが、それから紳士と船員が次々にたおれた。みんな恐ろしい寒気を身に感じて、そしてまるで「慄える玩具」のように劇《はげ》しく絶え間なく戦慄《せんりつ》した。
24[#「24」は縦中横] 花嫁の枕辺《まくらべ》で絶望している青年。青年自身も堪え難い寒気に襲われた。
25[#「25」は縦中横] 船長室。――肥った船長はベッドの中で氷嚢《ひょうのう》に冷やされながら慄えていた。
26[#「26」は縦中横] 黒ん坊の運転手は慄えながら神を祈った。
27[#「27」は縦中横] 電信技師は慄える手先で辛うじて発信機を打つ。
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――S・O・S! 印度洋にて。新しき五月の花――[#「――S・O・S! 印度洋にて。新しき五月の花――」は太字]
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28[#「28」は縦中横] 帆柱高く上がる非常信号旗。
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――我等、危険に[#「――我等、危険に」は太字]|瀕[#「瀕」は太字]《ひん》せり!――[#「せり!――」は太字]
[#ここで字下げ終わり]
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29[#「29」は縦中横] ただ船底の火夫だけが丈夫で働いた。
30[#「30」は縦中横] 羅針盤。不良――と書いた紙が貼《は》ってある。
31[#「31」は縦中横] 舵手室。舵手は蒼《あお》ざめて、厚まくれた外套《がいとう》にくるまりながら、決然たる態度で舵輪を廻している。
32[#「32」は縦中横] 船尾。
33[#「33」は縦中横] 舵機――舵のついていない心棒ばかりが波間に空しく廻転した。
34[#「34」は縦中横] 大洋を走る運命の船。(溶暗)
35[#「35」は縦中横] 長い夜。おそろしく泡立っている真っ暗な海面。
36[#「36」は縦中横] (溶明)朝。青年の船室。
37[#「37」は縦中横] 青年ひどく厚く重ねた夜具の中で眼をさます。そして傍を見た。
38[#「38」は縦中横] 花嫁がいない。
39[#「39」は縦中横] 青年は周章《あわ》てて船室を飛び出す。
40[#「40」は縦中横] 一歩、船室を出るならば、ああ、見よ!
41[#「41」は縦中横] 船は白皚々《はくがいがい》たる雪に埋もれていたではないか!
42[#「42」は縦中横] 大雪の港の景色。
43[#「43」は縦中横] 船は進路を誤って、アラスカへ着いたのであった。
44[#「44」は縦中横] 青年は雪の甲板を走った。
45[#「45」は縦中横] はるかの船首に両手を上げて突っ立っている花嫁の姿。
46[#「46」は縦中横] 青年は喜びの叫びを上げる。そして走り寄る。
47[#「47」は縦中横] しかし、花嫁は身動きもしなかった。
48[#「48」は縦中横] それもそのはずである。小いさな可愛い花嫁は、天へ向って両手を差しのべたまま、氷となって、固く固く凍りついて死んでいた。
49[#「49」は縦中横] そして、悲嘆にくれた青年が、その胸にいくら熱い泪《なみだ》をそそぎかけながらかき抱いても、氷の花嫁は再び生き返りはしなかった……。(溶暗)
[#ここで字下げ終わり]



底本:「新青年傑作選 爬虫館事件」角川ホラー文庫、角川書店
   1998(平成10)年8月10日初版発行
初出:「新青年」
   1927(昭和2)年4月号
入力:網迫、土屋隆
校正:山本弘子
2008年1月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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終わり
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