い煙突が汽笛を鳴らした。
 父は甲板から、にこやかに挨拶をした。
「どうも、ありがとう。お丈夫で!」
「――お丈夫で!」と私は甲板を仰ぎ見ながらそう叫んだ。
 船は波止場をはなれた。父は新しい麦わら帽子を高く振った。私は自分の汚れた黒いソフトを一生懸命に振った。
 私は波止場の石垣に腰かけたまま、風に吹かれて殆ど半日も我を忘れていた。
 到頭金釦をつけた空色の制服を着ている税関の役人が私の肩を敲いた。
「どうしたんです? まさか、身投げをするつもりじゃないでしょうね。」
 私は急に悲しくなってむせび泣いた。
「おやおや、困りますね、一体どうしたって云うのでしょう。泣いてちゃわかりません。わけをお話しなさい。」
「お父さんが、いなく、なった、のです!……」と私はようやく答えた。そして、それから、父のためにどんな風にしてあざむかれてしまったかを語った。
「お父さんはどんな様子の人です?」と役人はきいた。
「よく思い出せないのです。そう、恰度あなたみたいな人です。髭がなくなってつるつるした顔をしていました。そして、しかもやっぱりそんな大きな眼鏡をかけていました。ああ、ほんとにあなたとそっくり
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