ていた。
 私は悲しくなって、父の腕に私の腕をからませた。ところが父はそれを邪慳に振り払った。そして声だけは殊の外やさしくこう窘めた。
「およしよ。君と僕とが兄弟だと思われても、また、困るからね。およしよ。」
 私は赤色がかったネクタイを結んで、髭がなくて俄かにのっぺりとしてしまった父の顔に、性の悪い支那人のような表情をみとめた。
 汽車に乗ってからは、父は窓の外を走っている町端れの景色の方へ向いて、「ヤングマンスファンシイ」の口笛なんかを吹き鳴らしていた。そして私に対しては一層冷淡な態度をとった。
「ね、港へ船見に行くの?……」と私は不安な気持できいた。
「うん。船に乗るかも知れない……」
 父はそう返事しながら、胸のかくしから疎《あら》い紫の格子のある派手なハンカチと一緒に大きな鼈甲縁の眼鏡をとり出すと、それをそのハンカチでちよっと拭いて悪くもない眼へ掛けた。コティの香水の匂がハンカチからむせ返る程ふりまかれた。
「港の眺め程ロマンチックなものはないと思うよ。」と父は云った。
「お父さん。どうして、そんな眼鏡かけんの?」私は父の不似合な顔の様子を気にかけて、そうたずねた。
 すると父はひどく慍った。
「お父さんだって? 莫迦だな、君は!……僕がどうして君のお父さんなもんか! もしも、も一度そんな下らない間違いをすると、なぐるぞ!」
「………………」
 私はそこで、不意に、本当にこの支那人のような顔をした男は、父ではないような気がしだした。
 私は眼をさました時に、大きな見まちがいをしてしまったのかも知れないと思い返してみた。私は父と子との関係について――父なぞと云う存在が私にとって果してどれ程密接な関係に置かれているものか――しかも、私の父は、私とはたった十年《とお》しかちがいはないのだが――それらがみんな今更大きな誤りだったように思われて……私はだんだん、強《したた》か酔っぱらってしまった時のように、信じ得べき存在はただ自分一個だけになって途方に暮れた。
「君、そんな蒼い顔しちゃいやだよ。……泣きっ面なんかしてると汽車の中へ置いてきぼりにしちゃうから!」父はまたずけずけとそう云ったが、それでも直ぐ機嫌をとるようにつけ加えた。
「嘘だよ。そんな悪いことをするもんか。それどころか。僕は君に送って来てもらって本当に喜んでいるんだよ。」
 父はそして声をたてて笑った。
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